誤ではないと思はれるのである。
 さて余は前に尚書の編成を考へて、單に時代思想の上から、即ち單に經書に含まれてゐる思想の上から演繹して、其發展すべき自然の順序に依り、尚書の各篇の出來た次第に就いて説明を試みた。而して其の方法を應用すれば、勿論他の經書にも類似した説明が出來得ると信じてゐたのである。然し其の方法は單に論理的に考へてゆくばかりで實證を伴はないものであつたから、他の經書までも其の方法を應用することは餘程複雜な手數を要するものなることを知つた。故に今度は其の方法を一變して諸經の辭書と考へられる爾雅を基礎として、其の實證となるべき部分を拾出し、爾雅の成立に併せて經書の發展する次第を考へてみたのである。この方法も附益、竄入、訛誤などの澤山積重つてゐる古書を取扱ふ方法としては、勿論之に依つて隅から隅まで動かないやうな研究を遂げることは困難であるが、大體の徑路を此の方法に依つて考へるならば、古書の研究に一道の光明を與へ得られないとも限られない。これ余が妄斷の誹を甘んじて受ける覺悟で斯くの如き試みを敢てした所以である。
[#地から1字上げ](大正十年九月、十月「支那學」第二卷第一號、第二號)

  自注
[#ここから3字下げ、折り返して4字下げ]
(一)朔北方也は尚書大傳の堯典に北方者何也伏方也と關係があり、曁不及也の句には郭注に公羊傳の隱公元年の文を引て解釋して居る。
[#ここで字下げ終わり]



底本:「内藤湖南全集 第七卷」筑摩書房
   1970(昭和45)年2月25日発行
   1976(昭和51)年10月10日第2刷
底本の親本:「研幾小録」弘文堂
   1928(昭和3)年4月発行
初出:「支那學 第二卷第一號、第二號」
   1921(大正10)年9、10月発行
※底本の、異体字と思われる「馬/廾」と「(馬−れんが)/廾」の混在は、ママとした。
※本ファイル中に現れる「著者の書き込み」は、底本の親本である「研幾小録」の校本として著者が手許に置いていたものの欄外に、書き入れられていたものである。底本には、編集に当たられた内藤乾吉によって、当該箇所に挿入された。
入力:はまなかひとし
校正:菅野朋子
2001年9月21日公開
2006年1月17日修正
青空文庫作成ファイル:
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