をされる方があると見えまして、蓮生觀善さんは高祖の書道について研究になつて居ります。私が遠慮なく申すと、贊成を致す所と贊成を致さぬ所とあります。それは此處で申上げることは御預かりと致します。それから殊に面白いのは、この長谷寶秀さんの『高祖の遺墨』と申しますもので、是は大師が書かれまして今日まで遺つて居る者の中で、どれだけが確かで、どれだけが不確かだと云ふ批評を載せてあります。是等は餘程宗内の御方の研究としては、えらいことであると思ひます。宗内の御方と云ふものは、隨分其の宗内で寶物とせられてあるものなどに對しては、十分に自由の研究と云ふものは出來にくいものでありますのに、此の長谷さんの研究は遠慮なく批評をされてあります。さうして其の批評は殆ど一々適中して居ると謂つても宜からうと思ふ次第で、是は僅かの短篇ではありますけれども、私は餘程此の研究には敬服いたして居ります。今は仁和寺に御所藏になつて居る『三十帖策子』と云ふ有名なものに就いても、黒板博士が意見を書いて居りますが、實はあの書の研究の始まつたのは、私と黒板君とが同時に仁和寺で拜見した時に、どれだけが大師の眞蹟であり、どれだけが外の人の
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