こと、他の人のどれに當るかと云ふことを調べるのは、骨の折れることでありますが、兎に角各々勝手な語を用ひて居ります。所が支那では韓方明の用ひました術語と能く合ふのがもう一つあります。それは南唐の李後主と云ふ人で、五代の末に今の南京に國を建てゝ居つた人がありました。其の人は書の上手な人でありましたが、其の筆法の術語が韓方明の術語に似て居る。韓方明の術語は四字しかありませぬ。李後主の術語は七字あります。兎に角類似した語を使つて居ります。即ち韓方明の術語は、一は『鉤』と云ふ字を使つて居る。それから『※[#「てへん+厭」、85−17]』と云ふ、『訐』と云ふ字、それから『送』の字を使つて居る。南唐の李後主は撥鐙法と云ふものを用ひる。撥鐙法と云ふのは燈心を掻立てる手つきを謂ふのだと云ふ説もあり、又鐙を蹈張る姿勢を謂ふのだと云ふ説もあり、隨分面倒なことでありますが、かういふ事は眞言宗の大學の教授をして居られる畠山八洲先生などがよく御承知でありますが、やかましい議論のある者であるが、要するに此の撥鐙法を七字で説明して居ります。其の中に※[#「てへん+厭」、86−3]の字もあり鉤の字もあり送の字もあります
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