の價値がある本であるとすれば、是は眞言宗の方のみならず、日本の文學を研究する人は必ず一度は之を見て、日本の文學なり支那の文學なりを研究するに重大な價値があると云ふことを知られることを希望するのでありますが、それに就て弘法大師全集本の校合の不十分だと云ふことを申すのは、甚だ恐縮ですが、御見落しになつて居ると云ふ例を一つ申しませう。此の本は詰り大師が亡くなられた後に、草稿だけが何處かに遺つて居つて、それから段々寫し傳へられたものでありませう。それは此の出版された本の中に、時々御草本と云ふことが書いてあります。即ち大師の御草稿本と云ふことであります。十四條八階などゝいふ條に、御草稿本には此があつて、朱を以て消してあると云ふことが斷はつてあります。けれども矢張り本文は消さずに此處は消した處だと云ふことまで丁寧に斷はつてありますから、此の本を出版する時にさう云ふ斷はりを附けましたか、此の本を出版する前に從來寫し傳へられる時に、御草稿本に依つてさう云ふ丁寧な校語を附けましたか、兎に角さう云ふ風に、弘法大師の御草稿本を自筆で消された所までも殘して、消してあると云ふことを斷はつて置いたといふことが分り
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