蒙らうと云ふ覺悟でありますので、今日御話を致しますのも、弘法大師の文藝とは申しましても、極く其の中の一部分、詰り大師の著はされた書籍に就いて、それの批評と申しますやうな事を申上げるに過ぎませぬ。勿論それ等の事も既に谷本、幸田兩博士の研究に於て、重もなる點は發表されて居りますので、私が申上げるのは段々枝葉に亙ると云ふことは免がれませぬ。どうぞ其の御積りで御聽きを願ひます。餘程是は聽かれる方々に取つては御迷惑なことであらうと思ひますけれども、兎に角弘法大師の盡力されたことを此處で細かに申上げる次第でありますから、私に對する御勤めでなく、宗祖弘法大師に對して御勤め下さる御心で暫く御清聽を願ひます。
それで弘法大師が著はされた書籍の中の一二のものに就いて批評を致して見ますと、弘法大師でも文藝上の著述が澤山ある次第ではございませぬ。是は谷本博士の講演の中にも、隨分いろ/\御骨折りになつて研究せられたものでありますが、其の一つは文鏡祕府論であります。此處に持つて來て居りますが、是は弘法大師のことに御注意になつて居る方は、どなたでも御承知でありますが、文鏡祕府論と云ふ本があります。此の本に就きまし
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