蒙らうと云ふ覺悟でありますので、今日御話を致しますのも、弘法大師の文藝とは申しましても、極く其の中の一部分、詰り大師の著はされた書籍に就いて、それの批評と申しますやうな事を申上げるに過ぎませぬ。勿論それ等の事も既に谷本、幸田兩博士の研究に於て、重もなる點は發表されて居りますので、私が申上げるのは段々枝葉に亙ると云ふことは免がれませぬ。どうぞ其の御積りで御聽きを願ひます。餘程是は聽かれる方々に取つては御迷惑なことであらうと思ひますけれども、兎に角弘法大師の盡力されたことを此處で細かに申上げる次第でありますから、私に對する御勤めでなく、宗祖弘法大師に對して御勤め下さる御心で暫く御清聽を願ひます。
 それで弘法大師が著はされた書籍の中の一二のものに就いて批評を致して見ますと、弘法大師でも文藝上の著述が澤山ある次第ではございませぬ。是は谷本博士の講演の中にも、隨分いろ/\御骨折りになつて研究せられたものでありますが、其の一つは文鏡祕府論であります。此處に持つて來て居りますが、是は弘法大師のことに御注意になつて居る方は、どなたでも御承知でありますが、文鏡祕府論と云ふ本があります。此の本に就きましては谷本博士も大變に御骨折りになつて、研究せられて居りますので、一つはそれ等の事から私も刺激された傾きもあります。それから又私は元來此の本に對して存外多少の興味を有つて居る點もあります。それ等の點からして時々私は此の本を開いて見ることがあります。其の度に時々氣の附いたことをチヨイ/\と本の鼇頭《あたま》へ書入れを致して置いたり何かします。詰り今日どう云ふ事を申上げようかと困つた揚句、之を開いて見て、かねて調べ掛けたことがありますので、それから少しばかり端緒を得て調べたことを、今日申上げようと思ひます。所が是は話の面白くない割には存外話が込入つて居りまして、隨分御聽きにくからうと思ひますが、どうか暫く御辛抱を願ひます。
 此の文鏡祕府論と申しますのは、勿論弘法大師が當時の漢文を作り、詩を作ります者の爲に、其の規則を書きましたものであります。規則と申しましても、是も谷本博士の御講演の中にもありましたが、弘法大師が自分で御作りになつた規則ではありませぬ。其の當時支那に於て行はれて居ります詩文の法則となつて居るものを集めて、いろ/\取捨をされて書かれましたものであります。弘法大師が文鏡祕府論の
前へ 次へ
全26ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 湖南 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング