ければならぬことが出て來ると思ひます。さうして實は國とか民族とか申しますものは、其の時代を分けるのには、さう簡單に年數などで以て分けらるべきものではなく、根本に其の國、其の民族の…………一人の人間で申せば幼稚な時期と青年の時期と、それから老衰の時期とある如く、國とか民族とかいふものにも、さういふものがあると致しますると、古代といふやうな幼稚な時期がどの位、何年から何年位の間に當る、中世といふのはどの位からどの位に當るといふやうな、各々相違があるわけであります。さうして其の又各々の時代、幼少の時期、それから壯盛な時期、それから老衰の時期といふやうなのは、その各々の國に特別なこともあり、或は各民族に共通した點もありますが、要するに各々時期に依つて有する内容が違ふと思ひます。それを本當に考へぬといふと、單に近代と申しましても、近代といふことが一體どういふ意味か分らない。それで殊に支那は今申す通り、日本などから見ると殆ど倍に近い程も年數が長いのでありますから、一體どれ位の時代から近代か、その支那の近代といふものが有つて居る内容がどういふものかといふことを知らなければならぬと思ふ。どういふ風にしてこれを定めるかといふことは、それは少し歴史の專門の方に渉りまして、今日はそれを一々申上げるわけには參りませぬが、兎に角私共が信じて居る近代といふものゝ内容がどういふものか、それは支那に限りませぬ、日本でも或はヨーロッパあたりでも同樣でありますが、近代といふものゝ内容に是非なければならぬ條件がどういふものか、それを考へぬと、支那の近代と一口に申しましても、近代といふ意味が十分に分らぬと思ふ。
二
その事を先づ第一に申したいと思ふのでありますが、その近代の内容の中、一つは平民發展の時代、これはヨーロッパあたりにしますと、斯ういふやうに歴史を考へることは、何でもないことでありますが、支那の近代がどういふわけで一體平民發展時代になつて居るかといふことは、容易に分り易い問題ではありませぬ。支那の平民發展時代と申しましても、平民に參政權が出來たといふわけではありませぬ。今日でもそれが確實にあるわけでありませぬから、況や以前に於て平民が參政權を有つたといふ時代があつたわけではない。それで近代が平民發展時代といふことはどういふわけかといふことを先づ第一に考へて見なければなら
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