します。兵主神社が弓月嵩と稱する處にあるといふことはこの弓月君に關係がありはしないかと思ひます。一方穴師といふ「あな」といふことは「あや」といふことゝ同じことであります。支那のことを意味しております。「漢」といふことを意味して居ります。「あや」といふのは「漢織」、即ち綾を織るから「あや」といふとする説がありますが、それは反つて原因結果を顛倒して居りますので、漢といふ字の音で、それから漢織の「あや」も、綾の「あや」も出たのでないかと思ふのであります。それで穴師若しくは弓月嵩といふ處に兵主神社があるのは當時漢人が來て居つた處で其の奉じて來た神を祀つて居つたのではあるまいか、是が又食物の神になつて居るといふことは、外國から食物即ち稻のやうなものを持つて來たからそれが食物の神になつて居る。さういふ所から穴師の兵主神社といふものは支那の山東の兵主神社を持つて來たのではないかと思ふ。日本の秦氏といふものが秦の始皇の末孫といふのでありますがこれらの系圖はあてになりませぬ。山東の八神といふものは古いものであつて、餘程前からある。それで其の時分に彼等の種族が日本へ渡つて來たが、其の時自分の國の神を持つて來ないとは考へられない。八神を祀つて居るのは地方に依りまして、日主といふのは今日の山東の成山角で祀つて居る。山東の出端でありまして、直ちに日の出る所に向つて居るから日主といふものが其處で祀られて居ります。天主といふものは齊の國の都、臨※[#「くさかんむり/巛/田」、第3水準1−91−1]といふ所でありますが、其處で祀つて居ります。臨※[#「くさかんむり/巛/田」、第3水準1−91−1]に天齊淵といふものがあつて、それを祀つて居る。天齊といふ齊の時は臍といふ字と同じ、天の臍といふことで、天の眞ん中と考えたのである。一體齊の方の傳説では、齊の國は臍だ、支那の眞ん中で、天の臍のある所にあるから齊の國だといふことになつて居りまして、齊の國の都に天の臍があると考へた。泉が幾つか涌いて居つて、それを天齊の泉といつて居る。さういふ風で地方に依つて色々に祀つて居る。で此の兵主神は其の中でも一番山東の西の方で祀つて居るのであります。今日でも山東人といふものは山東の内地から滿洲何處へでも喜んで移民する所の者であります。移民が滿洲地方へ參ります、又外國へも行く。それで古代の山東人が朝鮮半島を經て日本へ來たな
前へ
次へ
全20ページ中15ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 湖南 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング