りますから、關の字を肖古王へ持つて行かうといふのであります。尤も肖古王を近肖古王に對して古肖古王といつたとすれば、滿洲でも古《ふる》をフオと申しますから、古關は古肖古王だとして、一つの王として手數がかゝらぬ片付方をしてもよいのです。兎に角さういふやうに詰り今木神、久度神、古開神此の三つの神が皆朝鮮の王だ、斯ういふやうにしたい。是は伴信友の桓武天皇の皇太后の母方の家、即ち大枝氏の神樣を古開とした根據の無い説よりも、私の方が根據があると思ひます。先づ多少こじ付け得られることが出來れば根據がある。信友の方はこじ付けずに持て餘して居るから、持て餘さなかつただけは私の手柄だと思ひます。
 さういふことにして今の平野神社を片付けたいと思ひます。比※[#「口+羊」、第3水準1−15−1]神といふのは色々ひねくりますけれども、何れの古社でも祭神二三座の外に、多く姫神といふものがある。神を祀るには日本でも支那でも同じことで皆女が祀ることになつて居ります。後になつてから矢張り其女は祭神として必らず祀られることになる。それが比※[#「口+羊」、第3水準1−15−1]神であつて信友のやうに色々の説を付ける必要はないので、主なものは三體であつて、それが皆朝鮮の神だ、斯ういふことに仕末をしたいと思ふ。まア斯うすると信友より一段進めた積りでありますが、平野神社の神主さん達の考へて居るのよりも距離が遠くなつて、益々分り惡くなりますけれども、今の神主さん等ももう少し、少なくとも信友時代まで進歩して貰ひたいと思ふ。あの位の人より遙かに後戻りをするやうでは心細い。それで、一つこじ付けをやつて見たのであります。
 もう一つ近畿地方にある神社で「兵主神社」といふものがあります。是は隨分昔から難物で皆持餘して居つたものであります。此の一番主なるものは大和國の城上郡にあります。城上郡に穴師坐兵主神社といふのと、も一つ穴師大兵主神社といふのがあります。これが一番主なものであらうと思ひます。其の外方々にあるといふことでありまして、信友の延喜式の神名帳の考證に據りますと、大分是が其處らぢうにある、近江國の野洲郡、同國伊香郡の兵主神社、播磨國の飾磨郡の射立兵主神社、「いだて」が付くことがあります。射立兵主神社といふものが播磨の廣峰といふ所にあつてそれが勸請されて來たのが京都の祇園社だといつて居ります。「いだて」といふの
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