單に百姓の集まりが信仰に依て熱烈に動いた結果、立派な大名をも亡ぼすやうになりました。非常に危險なものであつて、門徒宗が實に當時の危險思想の傳播に效力があつたと言つていゝのであります。但し世の中が治まると、危險思想の中にもちやんと秩序が立つて納まり返るもので、今の眞宗では危險思想などゝいふ者が何處にあつたかといふやうな顏をしてゐますが(笑聲起る)却々そんな譯のものではなく、少し藥が利き過ぎると、何處まで行くか分らぬ程の状態でありました。かくの如く應仁の亂といふものは隨分古來の制度習慣を維持しようとして居ります側――一條禪閤兼良などのやうな側から見ると、堪へられない程危險な時代であつたに違ひありませぬ。
それが百年にして元龜天正になつて、世の中が統一され整理されるといふと、其間に養はれた所のいろ/\の思想が後來の日本統一に非常に役に立つ思想になりまして、今日の如く最も統一の觀念の強い國民を形造つて來てゐるのであります。併し此後も騷ぎがある度に必ず統一思想が起るかといふとそれはお受合が出來ませぬ。今日の日本の勞働爭議に就ても保證しろと言はれてもそれは保證しませぬ。唯だ前にはさういふことがあつたといふだけであります。何か騷動があれば其度毎に其結果として何か特別な事が出來るといふ事は確かであります、唯どういふ事が出來るかといふことは分らない。一條禪閤の如きも當時の亂世の後に結構な時代が來るとは豫想しなかつたのであります。歴史家が過去の事によりて將來の事を判斷するといふ事はよほど愼重に考へないと危險な事であります。
兎に角應仁時代といふものは、今日過ぎ去つたあとから見ると、さういふ風ないろ/\の重大な關係を日本全體の上に及ぼし、殊に平民實力の興起において最も肝腎な時代で、平民の方からは最も謳歌すべき時代であると言つていゝのであります。
それと同時に日本の帝室と言ふやうな日本を統一すべき原動力から言つても、大變價値のある時代であつたといふ事は之を明言して妨げなからうと思ひます、まあ他流試合でありますからこれ位の所で御免を蒙つておきます。
[#地から1字上げ](大正十年八月史學地理學同攻會講演)
底本:「内藤湖南全集 第九卷」筑摩書房
1969(昭和44)年4月10日発行
1976(昭和51)年10月10日第3刷
底本の親本:「増訂日本文化史研究」弘文堂
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