が困、艮、井の三卦を除くの外何れも六種揃つたものゝ無いことである。これを數の思想から易を切離して考へることゝ相關係せしめて推測すると、本來の易は必ずしも各卦六爻から成立つたものではないやうに思はれる。尤も中には坤卦の如く卦名を爻辭に含まないで、履霜・直方・含ヘ・括嚢・黄裳の如く押韻した語から出來上つてゐるものもあるが、これも矢張り大體五種になつてゐる。[#ここから割り注]この直方は直方大で句とすれば韻に協はないことになるが、象傳の解釋に據ると直方で句とすべきである。[#割り注終わり]かうなつてくると、今度は又現在の各卦の卦名が果して本來のものであるか如何かゞ大分恠しくなつてくる。既に乾卦は爻名が五種共に龍の字をもつてゐるが、乾の字を含んでゐるのは僅に九三の君子終日乾乾といふのがあるのみである。それから又包荒・包承・包羞の三つの爻名は泰・否兩卦に跨つてゐる。又※[#「尸+彳+婁」、よみは「く」、第4水準2−8−20、44−5]校滅趾・噬膚滅鼻・何校滅耳・過渉滅頂の如き相類似の語のものが噬※[#「口へん+盍」、よみは「こう」、第4水準2−4−22、44−5]と大過の兩卦に跨つて居り、壯于趾・壯于前趾・壯于※[#「九+頁」、よみは「きゅう」、第4水準2−92−18、44−6]の三種が大壯と夬との兩卦に跨つてゐるやうなこともある。これらは恐らく本來は相類似した語から成立つてゐる爻が一に集められてゐたのであつたものを、後になつて六十四卦に整へられるに際し、斯くは錯亂を來したのではないかと思ふ、それで若し以上考ふる如くなれば、元來易の各卦は必ずしも六爻から成立つてゐないことになり、自然又六爻即ち三畫の爻を二つ重ねた現在の卦の基礎を失ふことになるから、易の全體が六十四卦から成立つことも必ずしも必要でなくなるのである。故に易の本來の形式は各卦五種づゝの爻をもつたもので、前に擧ぐるが如き四種或は三種のものは其の殘缺したものと見るか、或は又必ずしも各卦同一の爻數を含むとは定まつてゐなかつたと見るか、その何れかに考へられよう。以上予が現存の易の經文を讀んで起し得た所の疑問であるが、更に別な方面から易の成立ちに就いて考へてみよう。
先づ洪範に載つてゐる筮法によつて考へる。即ち洪範には筮法として貞悔の二法丈けを擧げてゐるが、現在の易では吉、凶、悔、吝、無咎、※[#「厂+萬」、よみは「れい」
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