て死んでしまった。法然はおれを捨てて行くかといって涙を落したとのことである。
石垣の金光坊は浄土の奥に至っているということを法然から賞《ほ》められていた人であるが、嘉禄三年に法然の門弟と国々へ流された時|陸奥《むつ》の国へ下ったが遂にそこで亡くなられたから、その行状が広く世に知られていない。
大体以上の如く主なる法然の門下或は宿縁ある人の行状を記し了った。この外法本房行空、成覚房幸西は共に一念義をたてて法然の命に背いたにより破門されてしまった。覚明房長西は法然が亡くなってから出雲路《いずもじ》の住心房にとどこおり、諸行皆本願であるというような意見になって撰択集に背いてしまった。この三人とてもなかなか立派な処のある人であるけれども、法然の遺志を慮って門弟の列に載せないことにした。見る人それをあやしまれないように。
底本:「中里介山全集第十五巻」筑摩書房
1971(昭和46)年8月30日発行
入力:山崎史樹
校正:小林繁雄
2010年3月11日作成
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