その乱暴を妨ぎ止める」といって争ったものだから、叡山の使者も退散して、その日は暮れた。
その夜法蓮房、覚阿弥陀仏等月輪殿の子息である妙香院の僧正の処に参って、
「今日の騒ぎはとにかく鎮《しず》まりましたけれども、山の憤りがまだはげしゅうございますから、これは一層早く改葬をしてしまうがよろしゅうございます」
という相談をして、その夜人静まって後、ひそかに法然の棺の石の室の蓋を開いてみると画像生けるが如く、如何《いか》にも尊い容《すがた》がその儘であったから皆々随喜の涙を流した。
都の西の方へ法然の遺骸をかきたてて行くうちに、道路の危険を慮《おもんぱ》かって、宇津宮弥三郎入道蓮生、塩屋入道信生、千葉六郎大夫入道法阿、渋谷七郎入道道遍、頓宮兵衛入道西仏等の面々今こそ出家の身ではあるが、昔は錚々《そうそう》たる武士達が、法衣の上に兵仗を帯して、法然の遺骸を守って伴についた。それを聞いて家の子郎党達が馳せ集まったので、弟子達軍兵済々として前後をかこみ、その数一千人余り、各々涙を流し悲しみを含んで輿《こし》を守護して行った。
嵯峨へ行って然《しか》る可《べ》き処に置き、そのありかを秘密にするということを各々誓いを立てて帰った。山徒は本意を遂げざることを怒って、尚その遺骸の行方を尋ねているという噂があったから、同じ二十八日の夜忍んで広隆寺の来迎房円空が許に移して置いてやっとその年も暮れた。
翌安貞二年正月二十五日の暁、更に西山の粟生野の幸阿弥陀仏の処へ遺骸を移して、そこで荼毘《だび》に附した。荼毘の処に三肢になった松があって、それを紫雲の松と名附けられ、その荼毘の跡には堂を建てて御墓堂と名づけて念仏した。今の光明寺である。
遺骸を拾い、瓶《かめ》に納め、幸阿弥陀仏に預けて置いて、その後二尊院の西の岸の上に雁塔《がんとう》を建ててそこへ遺骨を納めることとした。
四十三
白河の法蓮房信空(称弁)は中納言顕時の孫、叡山へ送られて、黒谷の叡空上人に就いていたが、叡空が亡くなってから、源空上人に就いた。内外博通、智行兼備、念仏宗の先達、傍若無人と云われた人である。享年八十三。安貞二年九月九日、九条の袈裟を掛け、頭北面西にして法然の遺骨を胸に置き、名号を唱え、ねむるが如く往生を遂げた。
西仙房心寂も、元叡空の弟子であったが、後には法然を師として一向専修の行者となったが、同朋同行の多い処では煩いが多いから、誰れも知らない処へ行って静かに念仏をしようと思って、諸方を尋ね歩き、河内国讃良という処の尾入道という長者の土地へ住むことに定め、それから又京都へ登って来て所持のお経などを人に頒ち与えてしまい、ただ水瓶ばかり持って法然の処へ来て隠居をすることを物語り、
「この世でお目にかかるのは只今ばかり、再会は極楽で致し度うございます」
といって出て行った。法然はその心任せにして、時々あれはどうして暮しているかなどという噂をしたが、三年経つとこの僧がひょっこりやって来た。法然が驚いて、
「どうしたのだ」
と尋ねると、西仙房が云うことには、
「そのことでございます。あちらへ隠居しまして、はじめの年位は心を乱ることがなくよく行い済ませましたが、この春あたりから、つれづれの心が出て来て、煩《うる》さいと思っていた同朋同行や、親しかった間の者などが恋しくなり、余り徒然《つれづれ》にたえぬまま、あの時持っていたお経でも開いて見たならばこの心をなぐさめるよしもあったろうと人に頒ち取らせたことさえ後悔せられて、果ては時々来る小童などにそぞろごとを云いかけては心をなぐさめていたが、愈々徒然の心が旺《さか》んになって、故郷を思う心ばかり多く極楽を願う心は少なくなってしまいました。これでは全く予期する処とちがった無益の住居と思って、折角好意を持ってくれた地主の尾入道にも辞《ことわ》りも云わないで逃げ上って来ました」
法然はその率直な言葉を喜んで、
「道心のないものにはこの心は無いことだ」
といって賞めた。
それから西仙房は姉小路、白川祓殿の辻子という処に妹の尼さんが住んでいた。庵の後ろに廂《ひさし》をかけて自分の身一つが納まるだけに藁《わら》でもって囲いをして、そのうちに籠って紙の衣を着て、食時便利の外には一向に念仏をしていた。小さな土器《かわらけ》を六つ並べて香をもり、火を消さず、とり移しとり移して、念仏して、人にも会わなければ全く別世界を劃していたが、元久元年の冬|臨終正念《りんじゅうしょうねん》にして端座合掌、高声念仏して息絶えた。その室内が三年程香ばしかったという。着ていた処の紙の衣によき匂いがあるので、訪ねて来たものが皆それを分けて貰って行った。最期の時には貴賤男女が沢山集って結縁したが、大番の武士、千葉六郎大夫|胤頼《たねより》それ
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