のじゃ。その盗み心は人は誰れも知らないから少しも飾らない心になる。本当の往生もまあそんなようなものだ。人に見せないで仏より外には知る人もない念仏、そこで疑いのない往生が出来るわけだ」
それを聴いて四郎が、
「よくお言葉がわかりました。それを承って私もどうやら往生が出来そうでございます。ではこれから人の前で珠数を繰ったり、口を動かしたりして念仏をすることは止めましょうかしら」
というと法然がまた、
「それはまた僻《ひが》みというものだ。念仏というものの本意は常念でなければならぬ。強《し》いて性質をためて本来臆病の者が剛《ごう》の者の真似をするにも及ばない。剛の者がまた変に臆病がるにも及ばない。本性にうけて真の心で如何なる処、如何なる人の前で申すとも少しも飾る心がなければそれが真実心の念仏で、きっと往生が出来る」
といって三心《さんじん》の事を説いて聞かせると、四郎が、
「それではその夜中に念仏をいたします時には必ず起きていてしなければなりますまいか。また珠数や袈裟《けさ》などを用意して申さねばなりますまいか」
法然答えて、
「念仏の行は行住座臥《ぎょうじゅうざが》を嫌わないのだから、伏して申そうとも、居て申そうとも心に任せ時によるのだ。珠数を取ったり、袈裟をかけたりすることも、又折により体《たい》に従ってどちらでもよろしい。詰り威儀というものはどうでも今云うた真の心で念仏を申すことが大切だ」
と教えられた。天野四郎の教阿弥陀仏は、歓喜踊躍し、法然の前に合掌礼拝して罷《まか》りかえったが、その翌日法蓮房信空の処へ行って暇乞《いとまごい》をした時、昨日上人から教えられたことを述べて、お蔭様でこんどの往生は少しも疑いがないといって、東国へ向って行った。
その後法蓮房が、法然の前で、
「左様のことがありましたか」と尋ねると法然が答えて、
「そうそう、それは昔盗人だと聞いていたから対機説法ということをして見たのだ。一寸は分ったように見えたわい」
といわれた。
教阿の天野四郎は、こうして相模の国河村へ下って行ったが、やがて病気で死のうとする時分に、同行に向って、
「わしは法然上人の教えをよく受けているから立派な往生が出来る。往生のしぶりを見て置いてよく法然上人にお伝え申して呉れよ」
と遺言して正念《しょうねん》たがわず、合掌乱るることなく念仏を高声に数十遍称えて
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