の緒《お》が疲れ易《やす》い。一連では念仏を申し、一連では数をとって積る処の数を弟子にとれば緒が休まって疲れません」
 と答えたので法然がそれを聞いて、
「何事も自分の心に染《し》みていると才覚が出て来るものである。阿波介は性質は極めて愚鈍の人間だが往生の一大事が心にしみているからこそ斯様《かよう》な工夫も考えだすのだ」とほめたということである。
 或修行者が浄土教の教義は分っていたが、まだ信心が起らないので嘆いていた。或時東大寺に参詣すると、丁度棟木を挙げる日で、おびただしい材木をどうして引き揚げるのかと心配して見ていると轆轤《ろくろ》を使って大木をひき上げ、思う処へどしどしと落し据えた。それを見て成程良工の謀《はかりごと》はうまいものだ。まして況《いわ》んや、弥陀如来の善行方便をやと思って疑いが晴れて信心が決まった。この時はかねて法然から三宝に祈請《きしょう》すべしということを教えられて東大寺に参詣しての思わぬ獲物であった。
 聖如房という尼も法然の教えに帰していたが、病気に罹《かか》っていよいよ臨終という時にもう一度上人にお目にかかり度いということを申越して来たが、法然は丁度別行の時であったから、手紙で細々《こまごま》と書いてやった。その手紙が残っている。その中に「我等が往生はゆめゆめ我身のよきあしきにより候まじ。ひとえに仏の御力ばかりにて候べきなり」というようなことがある。その手紙の心のおもむきを深く心に留めてめでたき往生をとげたということである。
 仁和寺《にんなじ》に住んでいた一人の尼が法然の処に来て申すよう、
「私は千部の法華経を読むように願をたてまして、七百部だけは読んでしまいましたが、もうこの年になっては残りを読みきれそうもござりません。なさけないことでござります」
 と歎いたのを法然が慰めて、
「お年をとっているのによくそれでも七百まで読みましたね。ではその残りを一向念仏になさいまし」
 といって念仏の効能を説き聞かせその通りにさせて安楽の往生をとげさせたことがある。法然のお弟子がその往生振りを夢に見たという奇談もあった。

       二十

 河内《かわち》の国に天野四郎《あまののしろう》と云うて強盗の張本があった。老年になってから法然のお弟子となって、教阿弥陀仏と名乗って常に法然の膝元で教えを受けていたが、或晩夜中に法然が起きていて、ひそ
前へ 次へ
全75ページ中30ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング