黙って何も云わなかった。その夜法蓮房の夢に、「大竜が形を現わして、われは華厳経を守護する処の竜神である。恐るるな」と云うと思って夢が醒《さ》めたということである。
この類の奇瑞《きずい》がまだ沢山ある。
上西門院は深く法然に帰依していたが、或時法然を請《しょう》じて七カ日の間|説戒《せっかい》があったが、円戒の奥旨を述べていると一つの蛇がカラガキの上に七日の間じっとして聴聞の様子に見えた。見る人があやしがっているうちに結願《けちがん》の日になるとその蛇が死んで了《しま》ったが、蛇の頭の中から一つの蝶が出て空に昇ると見た人もあり、天人の形で昇ると見た人もある。
又法然が叡山の黒谷で法華三昧《ほっけざんまい》を行っていた時|普賢菩薩《ふげんぼさつ》が白象に乗って眼のあたり道場に現われたこともあれば、山王の影が形を現わしたこともあったという。
或時は蓮華《れんげ》が現われ、或時は羯磨《かつま》が現われ、或時は宝珠が現われるといったような奇瑞。
善導大師に就ては殊に傾倒が深かったと見え、紫雲棚引く曠野世界の中に、善導大師と対面なしたという夢を見たが、醒めて後、乗台《じょうだい》という画工に夢に見た処を描かせた。それが世間に流布して「夢の善導」という図になっているが、その面像は後に支那から渡った処のものに違わなかったということである。
生年六十六歳、建久九年正月七日|別時念仏《べちじねんぶつ》の間には特に様々の異相奇瑞が現われたということが、自筆の「三昧発得記《さんまいほっとくき》」というものに見えているということである。
八
法然が三昧発得の後は暗夜にともし火がなくても眼から光を放って聖教を開いて読んだり室の内外を見たりした。法蓮房も眼のあたりそれを見、隆寛律師《りゅうかんりっし》などもそのことを信仰していた。或時ともし火の時分に法然が、長閑《のどか》にお経を見ているようであったから、正信房がまだ燈《あか》りも差上げなかったのに、とそっと座敷を窺うと左右の眼の隈《くま》から光を放って文の表を照して見て居られたが、その光の明かなること、燈火にも過ぎていた。余りの尊さに斯様《かよう》な内証は秘密にして置いた方がよいと抜き足して出て来たそうである。
又或時夜更けに法然が念仏をするその声が勇猛であったから、御老体を痛わしく尊く思って正信房が若しも御
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