歳であった、それから第二が明治三十七八年(西暦一九〇四)の時で、彼はその時丁度徴兵検査であった。その時分の彼は東京へ出て所謂《いわゆる》苦学ということをしていたが、徴兵検査はこの村へ立帰ってこの地の郡役所で受けた。当時の彼は瘠《や》せこけて体量十一貫位であったが、検査の結果は皮膚脆弱というようなことで、乙種の不合格であったと覚えている、然《しか》し戦争が長びけばどうなるか知れないというような噂さは聞いていたものである。それから以来、彼は軍籍には何等の関係の無い身ではあるが、その都度都度の軍国気分というものは可なり深刻に味わされていたものである、が、この度の日支事変に遭って見るとずっと年もとっているし、その立場に於ても甚《はなは》だ変ったものが多い。

       四

 つい、この夏、弥之助は信州の高原地で暫《しばら》くの間暮した。
 彼は少年時代には相当に肥った丈夫な子供であったが、青年時代は色々の苦しい生活に遭《あ》って非常に健康を害してしまったが、その後修養につとめたせいか、また健康を取り戻し、寒暑共に余り頓着はしなかったが、漸《ようや》く老境に入りかけたせいか近来は夏がなかな
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