たずらに英雄待望ばかりをして居られない、今の日本に西郷隆盛が居ない、支那に勝海舟《かつかいしゅう》が居ない――と云う事が二つの国民の為に幸か不幸か。
 と云う様な事を弥之助は老人と共に語りあった、弥之助だけがそう云う考えを説いて聞かせたのではない、この老人も立派に弥之助とバツを合せるだけの見識を持って居た。
 老人は品川で山の手線に乗り替えて新宿の方へ別れた、弥之助は東京駅まで乗った。

       八

 それから植民地に帰って数日して弥之助はまた東京へ出かけて来た。
 それは午後の四時頃であった、中央線の電車は満員|鮨詰《すしづめ》であってその大部分は学生であった。この頃はたまにしか電車に乗る事のない弥之助はこの箱の中に積み込まれて見ると、
「人が多いなあ」と云う感じにせまられる、人間が多過ぎるなあ、一たいこんなに多くの人間が必要なのかしら――とやけの様に考えさせられる事がある。殊に東京市内から中央沿線に多くの学校が移されたところから、或る時刻になるとここの列車が学生であふれる。ここの沿線ばかりではない、弥之助の植民地の方へ行く私設の沿線でさえも学生であふれかえる。日本には人間の
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