口が殖えて日本は人口が多過ぎるという感じはやがてドコかへ消えて行って、その後に人間飢饉の大波が寄せて来るような感じ、今や、日本の人口が一億に達したとはいうものの、四億以上の人口を有する国を向うに廻して長期の戦争をしなければならないとすれば、この分では人間はいくらあっても足りない、金より物ということが、一時行われたが、それが物より人ということになりつつあるのではないか、今、農業に働いている壮丁は、いつ徴集されるか知れない、そうなると一人前に足りない子供の労力というものが、一人前以上に要求される時期が来たというものかも知れぬ。
十九
百姓弥之助が植民地へ戻ると二ツの欠食児童が待って居る。
欠食児童とは猫の子である、この植民地へはまぐれ猫、のら猫がよくやって来る。まぐれ猫については曾て次のような一文を書いた事がある。
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野良猫
夏のうち耕書堂の居間を開け放しにして置くと、よく野良猫に襲われる。食事半ばで肴《さかな》をかすめられたりすること屡々《しばしば》である。或時の如きは、日本橋からくさや[#「くさや」に傍点]の干物、鱈《たら》の切身というようなもの一包を買い込んで、大袋の中へ投げ込み、たしかに持参した筈《はず》のがない、東京へ置き忘れて来た筈はないのに幾ら探してもない。
気がついて見ると、それは包みごと野良猫めにしてやられたのだ――どうも憎い奴だ、見つけ次第一つこらしめてやらなければならないと思っていた。
秋になって、或晩戸を締め切ってしまうと、縁側の隅でニャーニャーと猫が鳴く、閉めこまれたな、よし、とっ捕えてやろうと立って障子を明けて見ると、隅っこに鳴きながらおびえているのは、逞《たく》ましい野良猫と思いの外、まだほんの小猫であった、少々案外の思いをして、よし/\此奴なら痛しめるほどのことはないと、有り合わせた肴の屑《くず》をとって投げ与えると、恐る恐る近寄って来て、それにかじりついた、それから、鰹節《かつおぶし》をけずりこんでボール紙の上に飯を少し盛って与えると、恐る恐る近寄って来たが、それにかぶりついたと見ると、食うこと食うこと、すさまじい勢で貪《むさぼ》り食いはじめて瞬《またた》く間に平げてしまった、それから今度は、少し大きいボール紙にもう一度飯を盛って、また鰹節を奮発して与えると、それも見る見る
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