欠点がある。稗《ひえ》とか黍《きび》とかいうものはこの辺ではほとんど作らない、赤豌豆《あかえんどう》は昔は盛んに作ったものだが害虫がおびただしく発生するというので、全村申合せて作らない事にして居るがこれは甚だ惜しい事だと思う。
赤豌豆は、花があれで中々しおらしくて美しい、観賞用にしたスイートピーよりは畑作りの豌豆の花の咲き揃った所が弥之助は好きであった、それに青いうちに莢《さや》ごともいで枝豆を食う様にして食べるとその甘みとうまさは忘れられないものの一つであり、かつまた熟し立てをほうろく煎《い》りにしたり塩うでにしたりして食べてもうまい味がある、ああいうのが味えなくなったのが如何にも残念である。
東京では盛んに塩豆を売って居る、成程あれも豌豆には違いないけれどもああなっては豌豆のもつ原始味などは全く涸渇してしまっている。
東京の縁日でどうかすると煎り立て豆を売って居る、豌豆を水につけて軟らかにしたやつを塩をまぶして金網で煎り立て、その熱いやつを紙袋に入れて売る。あれにはまだ相当に豌豆の原始味が残って居る。それも近頃はだんだん尠《すく》なくなってしまったが、浅草公園の瓢箪池《ひょうたんいけ》の附近に行くと最近まであれを専門に売って居る露店があったものだ。弥之助はあすこへ行く度にあれを買い込んであたりはばからずひげ面《づら》にほおばりながら歩いて同行の人を冷々させたものだ、以前東京の市中で豌豆煮立と云って売り歩いたものだがこの頃ではそれも聞えなくなった、豌豆の本当の味は青い時分莢ごと茄《ゆ》でて食うにあるのである、莢ごとといっても莢豌豆とは別である、莢豌豆は今もどこでも栽培を禁止する事はなくお汁の実などにして莢ごとに食べる、だれも御存知の通りだが、赤豌豆は莢ごとに茹でても莢は食べられない、枝豆を食うようにして粒だけ食べるのである。
枝豆といえば枝豆の原料としての大豆も昔はこの辺でも盛んに作ったが、今ではこれも害虫の理由《わけ》か或は大陸で大量製産がある為に引合わないせいか殆んど全く作らない、それが為に枝豆の食べられない事などは知れたものだが、味噌醤油の自家造も止まったし節分の豆まきの豆も無い、こういうものはすべて買った方が割に合う様になって居るのだろう。
「年とりの豆まきの豆迄こうして袋に入れて三越で売る様になった」
と弥之助の母などは三越の屋上庭園に大豆畑でも
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