番勝つと云う好成績である。
 年始状や年礼のしるしや名刺が本館の玄関のテーブルに置かれてある、今晩はこの部落の夜番に当ると云うので善平農士がそれをつとめる事にした。

       十四

 百姓弥之助はこの農業生活に入るにつれて服装の上で不便を感じ出した。それは弥之助の腹が中々大きくて普通の洋服では上と下が合わない、すきまから風が入るおそれがある、そうかと云って殊に日本風の私生活で背広服を朝から晩まで着づめにして居ると云うのもまずい、そこで大ていは和服を着て小倉の古袴をつけて居るが、この袴もまた腹部が出張って居る為に裾が引きずれがちで立居ふるまい殊に階子段登りなどには不便を極める。それからまたこの姿では机に向って事務をとって居た瞬間に畑へ飛び出して野菜を取って来ると云う様な場合に殊更不便を感ずるのである。そこで思いついたのが東北地方で着用して居る「もんぺ」のことである。あれを着用して見たら必ずこの不便から救われるに相違ない、そこで東京のデパートあたりを探させて見たが、出来合は見当らないようだとの事だから福島県の大島氏へ当ててその調製方を依頼したものだ。大島氏の家は福島県有数の事業家で弥之助の依頼したO氏は当主の弟さんに当る人で、白菜だけでも四百町歩から作ってその種子を全国的に供給して居る、弥之助は先年その農場に遊んで同氏の為に「菜王荘」の額面を揮毫《きごう》して上げた事がある、そこで早速同氏に当てて「モンペ」調製の依頼をすると直ちに快諾の返事が来た。
 その文面に依ると「モンペ」は福島地方でも用いない事はないがその本場は寧《むし》ろ山形、秋田の方面であると云わなければならぬ、然し御希望によって当地で然るべくとりはからって上げるからとの事であった。
 程なく同氏から鄭重な小包郵便を以て二着の「モンペ」が送られた、それに添えられた手紙には、当地織物会社の特産、ステーブルファイバーを以て仕立せさせた「モンペ」を送ると、モンペとしてはステーブルファイバーでは地方色の趣味が没却される点もあるが然し時節柄の意味に於て国産ステーブルファイバーを以て試製させて見た。別に地方色豊かなるものとしては会津地方から取寄せて送るという様な親切をきわめたものである。
 弥之助は大島氏の好意に感謝しつつ早速この国産ステーブルファイバーを着用に及んだ。ステーブルファイバーは一見したところモンペと
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