てしない人でした、或る点まで戦をしてそれからは軍略で大勢を制して大局の勝を取ると云う事にかけては全く古今独歩の英雄でしたねえ」
弥之助はこの老人の理解に尊敬の念を起して彼の対話もまたはずんで来た。
「その通りです、戦をさせたら家康の方に強味があるにしてからが、やっぱり最後にはあれを包容してしまいました、なるべく兵をいためずに大局を制すると云う点はえらいものですよ、あすこが武田でも上杉でも誰でも及ばないところです、天下を取るのは力ずくだけでは駄目です、略でいかなければ」
老人もまた弥之助の言葉にぴったりと意気が合うので、
「ところが欧羅巴《ヨーロッパ》の大戦争をはじめ近頃の戦争と云うものは……」
老人は近代戦争の兵器と人間との全面的衝突の恐るべき事を説いて「戦争に軍略と云うものがなくなった」と云う事を非道《ひど》く慨歎して居た。
それから二人の会話が何時しか西郷と勝の江戸城ゆずり渡しの事に及んで来た。
考えて見ると、西郷も勝も偉かったものだ、維新の開幕は必ずしも二人だけがうった大芝居ではない、内外の情勢殊に英国公使あたりのにらみも大分きいて居たと云う事だが、然し何と云ってもあの場は二人の舞台である、もしかりにあの二人の大芝居がうちきれないで江戸の城下が火になると云う事になれば、東北の強みはぐんと増して来る、それから所在佐幕に同情を持つ諸藩の向背ががらりと変って来る、日本がまた元亀、天正以前の状態になる、幸に新政府が成立したからと云って、その政治の奔命に疲らされて革新の精力などは消磨されてしまう、そこへ外国の勢力が割込むと云う様な事になった日には維新の事業どころではない、国そのものが半属国のような運命に落込まないとは限らない、西郷と勝の二人ばかりが千両役者ではない、明治の維新と云うものは有ゆる方面の力によって達成されたには相違ないけれども、人物が、少くともあの場合この二人の立役者が人命を救い国の運命を救った、エライ人物が出ると云うことは或意味では国の不祥と云えるかも知れない、然し人物が無い為に国を誤るの不祥はそれより以上の不幸と云わなければならない。ドイツにヒットラーが出たりイタリーにムッソリーニが出たりして乱れた国家を統制しこれを活躍せしむる外観はすばらしいが、ああ云う人物を生み、ああまでしなければ立ち行かなくしたヨーロッパ大戦以来の惨憺たる不幸を見れば、い
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