でしまったのです。
 そうして置いているうちに、暴女王と女親方[#「親方」は底本では「親分」]の方の宝物拝観も、御庭拝観も済んで、また三位一体となって、この光仙林へ立戻って来たには来たが、またも、あの金袋で苦労する。金で苦労するのは、大抵の場合は、金の欠乏で苦労するということになるが、米友の場合は、金があり過ぎて苦労をする。ああして置けば早晩、誰か発見する、発見された日のお取調べという段になると、結局は、探りさぐって、このおいらが呼出しということになってみると、どうでも事がうるさいよ。
 ちぇッ! いくたび地団太を踏んだことであろう。ここへ戻ったものの、今のさきまでそのことを苦心して落着かなかったのですが、とうとう思いきった決断としては、とにかく、ここまで持って帰って、不破の旦那に相談をして、その知恵を借りるに越したことはない。
 そう思って、夜中に、またまた醍醐まで、びっこ足を引きずり引きずり立戻って、藪の中をさがしてみると、まだあるある、いい気持ですやすや眠っているような形で、袋が藪の中に横たわっている。そいつを、御丁寧に抱き起した米友は、重いやつを、えっちらおっちらとここまでかつぎ込んで、この始末です。
「そういうわけだから、こいつは、おいらの金じゃあねえ、洛北の岩倉村というのへやるのが筋道だ」
「洛北岩倉村」
「うん、そこで賭場《とば》のお開帳がある、そいつの貸元へ納める金らしいぜ」
「そいつは、いよいよ運否天賦《うんぷてんぷ》のめぐり合せだ」
とがんりき[#「がんりき」に傍点]の百も、頭でのの字を書いて、横目に金袋を睨《にら》んで、口にはよだれという体《てい》は、全く以て授かり物、渡りに舟と言おうか、一方の旦那は、嗾《けしか》けて資本《もとで》を貸して洛北岩倉村の賭場へ推《お》しやろうとするのに、一方の野郎は、場銭を一袋かつぎ込んで、おれに使えと言わぬばっかりだ。人間、運のいい時はいいもので、鴨が葱《ねぎ》を背負って、伊丹樽をくわえ込んだようなものだ。
 このところ、がんりき[#「がんりき」に傍点]、すっかり有卦《うけ》に入って、天下の福の神に見込まれた、この分じゃ明日の合戦も百戦百勝疑いなしと、むやみに勇み立ちました。

         十四

 米友は、金の袋を置きっぱなしにして、そのまま出て行ってしまう。
 そのあとを、関守氏は引きつづいて、がんりき[#「がんりき」に傍点]からバクチ術の実地教授を受けて、丁半、ちょぼ一の何物なるかを、ほぼ了解しました。その間にも、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百はしきりに勇みをなして、明日の合戦|幸先《さいさき》よし、上方では初陣《ういじん》、ここでがんりき[#「がんりき」に傍点]の腕を見せて、甲州無宿の腕は、片一方でさえこんなもの、というところを贅六《ぜいろく》に見せてやる。
 そういう心勇みで、しきりに浮き立っていたが、いいかげんにバクチのコーチも切上げて、はなれた控間で一睡を催すと、その翌朝、早くも宇治山田の米友と連れ立って、洛北岩倉村へと遠征に出で立ちました。
 この場合、何のために米友が同行するかというに、それは言わずと知れた金の袋の運搬用のためであります。あえてがんりき[#「がんりき」に傍点]の百の随行というわけではない。
 本来、米友としては、こんないけ好かない野郎との同行を好まないのです。
 暴女王お銀様の尊大倨傲《そんだいきょごう》は快しとしない点もあるが、ドコか意気の合うところもあるし、なんにしても、女王と立ててあるところに寄留をしていれば、主人でないまでも、家主であるから、これに服従、と言わないまでも、頼まれればイヤとは言えない、行ってやるという気分にもなる。女軽業のお角に就いてはどうしたものか、ほとんど唯一と言ってよいほどに米友の苦手で、天下にこの女にばかりは頭が上らない。頭が上らない弱味はないのだが、それに押されて、この女に臨まれると身が竦《すく》むというのは、全くがらにないことで、米友自身にもナゼだかわからない。駒井能登守に対してさえポンポン啖呵《たんか》の切れる米友が、お角さんの一喝を食うと縮み上ってしまう。お角さんには、友公、友公と言って叱り飛ばされるけれども、道庵先生でさえが、友さん、友さんと立てなければ用を弁じないことが多いのに、お角さんばかりには無条件で御《ぎょ》せられる。それほどの米友だから、がんりき[#「がんりき」に傍点]の野郎を好まないのは勿論《もちろん》です。こんな、いけ好かない野郎のおともなどは以ての外、同行をさえ嫌っているのだが、今日はこの、いけ好かない野郎に同行するのではない、この金袋と同行するのだ。性のいい金か、悪い金か、それは知らないが、この金の行きどころは洛北岩倉村にあるので、山科光仙林に置くべきものではない、在《あ》るべきところへ在らしめるように働くのはおよそ人生の義務であるという建前から、いけ好かない野郎と同行の不快を忍んで、金かつぎの役目に廻った次第です。
 ですから、途中、一言も利《き》きません。いけ好かない野郎が、しきりにおてんたらを言って御機嫌を取ろうとするのを、うるさいとばかり素気《そっけ》なく、一言も口を利いてやらないのであります。
 いけ好かない野郎にしてもまた、このグロテスクの気象を先刻御承知だから、できるだけその御機嫌を取結んで、いけ好くようにしようとつとめるのだが、さっぱり利き目がありません。
「兄さん、団子を買ったが食わねえか、それともお饅頭《まんじゅう》の方がよけりぁ、お饅頭にしな」
と言って、日岡の峠茶屋で甘い物を振舞おうとしたが、米友は根っから受けつけません。
「食いたかねえよ、おいらは食いたけりゃ自分の銭を出して食うよ、お前に買ってもらって食うせきはねえ」
と、この時に米友がはじめて応答したぐらいのものです。かく応答するかと見ると、自分は汚ない巾着《きんちゃく》を出して、手早く鳥目を幾つか並べると共に、茶屋の大福餅を鷲掴《わしづか》みにして、むしゃむしゃと頬張りました。
 そういうわけで、がんりき[#「がんりき」に傍点]もあきらめたのです。こいつは買収もできないし、懐柔も利かない。触らぬ神に祟《たた》り無しだと、神様扱いにして道のりを進め、粟田口から三条橋は渡らず、二条新地をずんずん北に取って、八瀬大原の方へと急ぎます。

         十五

 ほどなく、洛北岩倉村に着きは着いたが、さて賭場《とば》の在所《ありか》がわからない。
 トバはドコだ、トバはドコだと聞いて廻るわけにはゆきません。なあに、広くもあらぬ山ふところの岩倉村だ、やがて嗅ぎつけてみせると、がんりき[#「がんりき」に傍点]はがんりき[#「がんりき」に傍点]の意地で、里人に物をたずねようともせず、そこここと嗅ぎ廻ったが、相当この道に鋭敏なはずのがんりき[#「がんりき」に傍点]の鼻が利かないのは不思議なほどです。
 少々たずねあぐんだ時に、ふと小ぎれいな垣根越しに見ると、庭にうずくまって植木いじりをしている一人の老人を見かけました。
「モシ、お爺さん、ちょっと物をたずねたいんですがね」
と、がんりき[#「がんりき」に傍点]が猫撫声で問いかけると、垣根越しに、
「何だ!」
と言って、頭を上げた途端にこちらを睨《にら》んだ眼つきに、がんりき[#「がんりき」に傍点]が思わず慄《ふる》え上りました。
「これは飛んだ失礼――」
と、やみくもに頭を下げたのは、お爺さんなんぞと呼びかけてみたが、これはまだお爺さんというべきほどの年ではない、四十歳の前後でしょうが、その人相が、今まで見たことのないほどの異相を備えているということが、がんりき[#「がんりき」に傍点]をおびえさせたので、つまり威光に打たれたというような気合負けなのでした。見てみると、色が黒くて頭が人並|外《はず》れて大きい、そうして、その頭の結い方を見ると、武家にも町人にも見られない形。そうかといって、お公卿《くげ》さんのようでもあり、還俗《げんぞく》した出家のようでもあり、どうにもちょっと判断のつけようがない人柄ですが、その眼光の鋭いこと、人品におのずから人を圧する威力というようなものがあって、がんりき[#「がんりき」に傍点]の野郎などは一睨みで、危うくケシ飛んでしまいそうなところを危なく食いとめたが、食いとめてみると、「おどかしやがんない、やい」といったような反動で、こいつにひとつ、しつこく物をたずね返してやろうという気になったところが、がんりき[#「がんりき」に傍点]の意地です。そこで、
「ええ、少々ものをおたずね致したいんでございますが、この辺に中納言様のお屋敷てえのがございやしょうかねえ」
「中納言の邸《やしき》、知らん」
「その中納言様には用があるわけじゃございません、中納言のお邸で、何かお慰みが行われるそうでござんすが、それをひとつ御案内を願いたいものでござんす」
と猫撫声を逞《たくま》しうしたが、今度は手ごたえがありません。手ごたえの無いのは軽蔑してやがるんだ、癪《しゃく》なおやじめと、がんりき[#「がんりき」に傍点]はややかさにかかって、
「早い話が、そのお邸の中をお借り申して、関東関西のあんまりお固くねえ兄いたちが集まって、お慰みをやろうてえんでございますが、なんとお心当りはございますまいか」
「…………」
 やっぱり、手ごたえが無い。そこで、がんりき[#「がんりき」に傍点]が意地になってなおも畳みかけて、
「ええ、手取早く申し上げちまえば、つまりその賭場が開けるんだそうで、そういう噂《うわさ》を、道中でふと承ったから、三下冥利《さんしたみょうり》にお尋ねしたようなわけなんで、噂に聞くと大したもので、なんでも北は会津から、東は水戸、南は薩摩の涯《はて》から、赤間ヶ関の親分までが、ズラリと面を並べる凄《すげ》えんだそうですが、来て見ると、見ると聞くとは大きな違い、ドコにそんな大親分がいらっしゃるか、ドコに天下分け目のトバが御開帳になっているか、てんで烟《けむり》も見えやしません。もしやこの山の上か、谷の底か、そんなところに本陣が据えてお有りになるんじぁございませんか。土地のお方に伺えばわかると存じまして、おたずね申し上げるんでございますが、そんなような気分の場所は、この近辺にございませんかなあ」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]が、こう言ってイヤに含み声を鼻にかけたが、相手は全然取合わない。
「外で何ぞ物を言う奴がいる、追い返せ」
と、奥に向って人に命ずる気色ですから、がんりき[#「がんりき」に傍点]がテレもし、狼狽もし、こいつはお歯に合わないと、そのまま、ほうほうの体でその垣根を立ちのいて、次へと移りました。
 こうして、広くもあらぬ岩倉村を、がんりき[#「がんりき」に傍点]と米友とは、次から次へとおとのうて歩きましたけれども、中納言のお邸というのは、見当りもせず、聞き当てもせず、まして丁々発止のトバの気分などは、この男自慢の鋭敏な鼻を以てしても嗅ぎつけることができず、結局、うろうろして再び舞い戻って来たのは、さいぜんの垣根越し、あの癪にさわる、威光のある親爺《おやじ》から追払われた、その垣根から屋敷の周囲をめぐって見ると、とにかく、村中きってこれだけの構えの家はない。なにも驚くほどの宏でも壮でもないけれども、作りに奥行があって、なにか物々しい屋敷といえば、これほどのものはほかにない。
 ということを、がんりき[#「がんりき」に傍点]が再吟味をしてみると、はて、ことによると、今のあの色の黒い、頭のでっかい、眼の光るおやじが、あれが中納言かも知れない。
 してみると、たずねる山は、このお屋敷かな、その気になって見ると、どうやら少々臭いぞ、だが――ここは大トバの開かれるキボでねえと、がんりき[#「がんりき」に傍点]の鼻は直ちに否定してかかったけれども、それでも念のためと、今度はひとつ、表門から正式は憚《はばか》りがあるとして、裏門の方からこっそり探りを入れてみようじゃないか。
 その気取りで、がんりき[#「がんりき」に傍点]は垣根を
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