を認めることができなかったものですから、駒井は遠目鏡を外《はず》して、また田山白雲に向って言いました、
「無人島です、人間は住んでおりません、もし相当多数の住民がありとすれば、船がここまで来る間に土人の舟が現われるはずですが、舟がちっとも現われない上に、人も現われて来ない、人間の使用品の類も漂うて来ない、煙も揚らない、人間の住んでいる気配はありませんから、一同|揃《そろ》って、このまま上陸ができることは幸いです。しかし、一方から考えると、人間が住んでいないということは、人間の眼の発見から逃れていたという意味にもとれますが、同時に、人間がすでに見つけたとしても、土地そのものが住むに堪えないから、それで放棄したものとも解釈がつくのです。総員上陸の用意はして置いて、下検分のため一応、先遣隊をやる必要がありますね、誰彼と言わず、わたしとあなたとで、検分を試みてみようじゃありませんか、船夫《せんどう》を二人連れて、バッテイラで漕がせて、もう一枚、ムクを加えて行こうではありませんか」
駒井からこう言われて、それを拒む白雲ではありません。
「至極妙です――早速手配をしましょう」
ここで、駒井と白雲とが、二人の船夫《せんどう》をつれて、ムク犬をも乗組に加え、小舟でこの島に上陸を試むることになりました。残された船員一同は、そのいずれにも不安を感ずるということがなかったのは、出で行く人は、自分たちの頭ではわからぬ用意周到の船長であり、それと行を共にする田山白雲は、世に珍しい豪傑の一人ですから……それに、船長は精良なる銃器を持っているし、白雲は有力なる日本刀の二本を差している。船頭二人はこの道の熟達者であるし、ことにムクという奴が、未知未開の蛮地へ入り込んでは、必ずや人間以上の本能を発揮するに相違ない。たとえ鬼が出ようとも、引けは取らない――という信頼が充分だし、また船に残る者も、残された者も、僅かの航海の間に相互の協同精神が熟しきっている。ことに、七兵衛入道の肝煎《きもいり》ぶりというものが無類です。動かす必要のない船を預かる場合に於て、水も洩《も》らさぬ用心が、この入道の胸にあることも、船中の信頼の一つでありました。
二十
それから清澄の茂太郎が、逸早《いちはや》くメイン・マストの頂辺《てっぺん》に打ちのぼって、本船を離れて行く船長と白雲の一行を、視覚の及ぶ限り監視の役をつとめている。
船の甲板では七兵衛入道が、やがて総員上陸すべき人員の点検と、陸揚げすべき資材の整理に大童《おおわらわ》となっている。
七兵衛のその後のいでたちを見ると、いったん入道した形を決して変えない。あれ以来、絶えず船中で、頭へ剃刀《かみそり》を絶やさないと見えて、入道ぶりがもはや堂に入っているところへ、潮風で磨きがかかって、地頭そのものがいっそう自然の形に見えるようになりつつあります。
その着物も、またそれに応じて、日本木綿を縫い直して筒袖にし、それに駒井形のだんぶくろをつけて、船員としても板についた形になっている。
かくて、全員総上陸の点検の上、物資は物資でこれを大別して、船に残すべきものと、陸上に持って上せるべきものとし、とりあえず衣食住を保証すべき物資と、その用具の取揃えにかかりながら、七兵衛が言いました、
「まず第一が水ですね、水の手がなければ人が住めない、井戸を掘るとか、水口を取るとか、鶴嘴《つるはし》と、鍬《くわ》と、鎌と、鉈《なた》、鋸《のこぎり》――そういったような得物を、ここへお出しなせえ。それを束《たば》にして、がっちりとここへ並べて置きなせえ。それから、煮炊《にたき》をする鍋釜、米と塩、鰹節と切干――食料は、よく中身を調べて、この次へこうしてお置きなせえ。とりあえず野陣を張る天幕はいいかね、張縄から槌《つち》、落ちはないかね。それからお医者さんの道具と薬箱、これは潮水に当てねえように、雨にかからねえように、桐油《とうゆ》をかけて、細引にからげて、取扱注意としておくんなさいよ。めいめい足を忘れねえように、蛮地の山坂を歩くには足が大事だよ、足が――沓《くつ》に慣れた者は沓、草鞋《わらじ》草履《ぞうり》の用意、二足でも、三足でも、よけい腰にブラ下げるようにして、水筒には、それぞれ湯ざましを入れて、これも腰から放さねえことだ。陸《おか》へ上ったら、直ぐに飲める水が有るか、ねえか、そこのところの用心だ、時候がわりの土地へ来て、うっかり悪い水を飲んじゃあ、取返しがつかねえぜ」
さてまた、婦人と小児の周旋は、お松が承って、これを担当する――
婦人といっても、監督のお松と、それから乳母《ばあや》、七兵衛入道が押しつけられて来た南部の生娘《きむすめ》のお喜代――番外としては、ほとんど監禁同様に船室に留められている兵部の娘、それだ
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