ざいませんか。伝授にしてからが、素手《すで》じゃあ息が合いませんから、何ぞ賭《か》けやしょう、コマを売りやすから、張ってごらんなさい」
「コマというのは何だ」
「コマ札というやつがあって、貸元からそれを買って張るのが定法《じょうほう》なんでげすが、そういうことはこの場では行われませんから、まあ、ようござんす、何ぞおかけなさい」
「よし、何ぞ無いかな」
と言って関守氏は――あたりを見廻す途端に裏小屋で、烈しく吠え出したのは、例の電光石火のデン公に相違ない。

         十三

 犬の吠える声を聞いて、人の近づくことを知り、その人もうろん[#「うろん」に傍点]な人ではない、犬係を志願した米友が、犬小屋の前を通過したことによって、犬が挨拶をしたに過ぎないということを関守氏が知ると、まもなく、ガタピシと裏戸を開いて、米友がそこへ現われました。
「どっこいしょ」
と言って入り込むと同時に、肩にかけた何か特別に重味のある一個の袋を、土間の俵の上へ、ずしんと卸《おろ》してしまいます。
「何だい、めっぽう重そうなものをかついで来たね、南京米《ナンキンまい》じゃあるまいな」
と関守氏がききますと、
「持って来るには持って来たが、置場所に困ってるんだ、お前さん、こいつを預かってくんな」
「何だよ、いったい、品物は。南京米でなけりゃ、じゃがいもか」
「そんなあ、不景気なもんじゃねえんだぜ」
と米友が、汗を拭き加減に、今そこへ取卸した至極重みのかかる袋を、伏目に見ながらの応対です。
「何だか、中身を名乗りなよ」
「当ててみな」
と、米友としては変に気を持たせるような返答ぶりでしたけれど、ワザと言うのでないことは、すぐに自問自答で底を割ってしまったことでわかるのです。
「銭《ぜに》だよ、こん中に、銭がいっぺえ詰ってるんだぜ」
「そいつぁ驚いた」
と、関守氏と、がんりき[#「がんりき」に傍点]と、二人が思わず音《ね》を上げました。
 代用食類似の不景気な品ではなく、銭とあってみると、たとえ鐚《びた》にしてからが、天下御免のお宝である。それを質の如何《いかん》にかかわらず、ともかく、袋にいっぱい包んで、小柄のくせに怪力を持つこの野郎が、汗を拭き拭きかつぎ込むというその重量は大したもので、「お気の毒」(一厘銭の異名)にしてからが莫大の実価である。それを人もあろうに、銭金《ぜにかね》にはあんまり縁の遠かりそうな男が、不意にかつぎ込んで来たのですから、大黒童子が戸惑いをして来たようなものです。
 二人が呆気《あっけ》に取られている間に、米友は素早く、何故に自分が重たい思いをして、この袋をここへ荷《にな》い来《きた》ったかということの因縁を、手短かに物語りました。
 それによると、今日、この男は、暴女王のおともをして醍醐へ赴いたが、その三宝院の門前で、他の二体がお庭拝見をしている間を待合わせている時に、変な奴が来て、このおれを見かけて、袋をかついで洛北岩倉村へ行けと言う。いい銭になるから行けと言う。いい銭になろうとなるまいと、こっちはこっちの果すべき職務がある、人は同時に二人の主に仕えるわけにはいかない、それをいくら説いて聞かせても、このけったいな野郎が、強引においらを誘惑する。それを虫をこらえてあしらっているうちに、観修寺《かんじゅじ》の方から役向と覚しい二三の両刀がやって来ると、何をうろたえたか、このけったいな野郎が、この金袋をおいらに抛《ほう》りつけて一目散に逃げてしまった。役人は素通りをしたが、その野郎はかえって来ない。いつまで経っても取戻しに来ない。
 そこで、米友はさんざん考えさせられたが、本来は、なにも少しも考えることはない、手取早い話が、交番へ届ければいいのである。交番がその辺にまだ設けられてなければ、しかるべき役向へ、土地の人を介して届けてもらいさえすれば、事は簡単明瞭に済むのだが、今日、米友の場合、それがなかなか簡単明瞭には済まない。盗んだ物とすれば盗んだ奴に罪はあるが、拾った者に罪があるはずがない。拾って、しかしてこれを隠せば当然罪になる。拾ってそうして我が物とすれば、これは猫婆《ねこばば》というものであって、泥棒に準じた罪に置かれることは米友もよく知っている。
 ただ、米友の場合、困るのは、拾い主には拾い主としての義務がある、責任もあるというその心配なので、まず第一に、自分の住所氏名から訊《ただ》される、これが苦手であること。領分は変り、国境《くにざかい》は違っているのだけれども、いったん生梟《いきざら》しにまでかけられた自分の古瑕《ふるきず》が、不必要なところであばかれた日には気が利《き》かねえやな。
 いやだなあ! そこで、米友は一気にあきらめてしまって、その金袋を、通行人の隙をうかがって、三宝院の境内の藪《やぶ》の中へ投げ込ん
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