出でるお喋り坊主から、今晩に限ってこんなにあしらわれると、米友もいい心持がしない。そこで、今度は少し語調が荒っぽくなりかけて、
「弁信さん、何と言ってもはいはいでは、あんまり気がねえじゃねえか、ちったあ[#「ちったあ」に傍点]張合いのある返事でもしな」
「そういうわけではありませんのです、米友さん、悪くなく思って下さいな」

         四

「お前《めえ》のことだから悪かあ思わねえがね、話しかけた方の身になってみると、はいはいだけじゃあつまらねえこと夥《おびただ》しいや」
「では、米友さん、お話し相手になって上げますから、もっとお話しなさいな」
 改まってそう言われると、さて何から話し出していいか、米友が少しテレる。
 米友が少しテレたので、弁信が仕手役《してやく》に廻りました。
「米友さん、私は今、考え事をしていたところなんです」
「何を考えていたんだ」
「いろいろのことを」
「いろいろのことと言えば……」
「それは世間のことと、出世間のことと――人間並みに申しますると、眼で見える世界のことと、眼で見えない世界のこととを考えておりました、人間並みではこれが二つになりますが、私にとっては一つなのです、私の眼には一切が見えない世界のみでございまして、見るべき世界がございません、ですから一つです、見える世界、見えない世界と、事わけをするのは、人間並みに五体整っている人のすることでありますから、私は仮りに世間のこと、出世間のことを二つに分けて申してみました」
 さあ、むつかしくなり出した。これからの饒舌《じょうぜつ》の洪水が思いやられる! だが、これは頼まれもせぬに引出した米友に責めがある。せっかく沈黙の世界におとなしくしているものを、返事がなくては張合いがないのなんのと誘発した米友に、充分の責めがあるのであります。いわば眠っている獅子《しし》の口髯《くちひげ》を引いたようなもの、百千万キロワットの水力のスイッチをひねったようなものですから、今後の奔流は、米友御本人が身を以て防護に当るよりほか、受け方はありますまい。
 だが、こちらもさるもの、一向にひるまない。
「二つにでも、三つにでも、わけて見ねえな」
 世間とは何で、出世間とは何だと、野暮な追究を試みるようなことをしないで、三つにでも、四つにでも、千万無量にでも、分けられるものなら分けてみねえなという度量を示したものですから、弁信もさもこそとうなずきました。
「では、その世間の方から申してみますると、米友さんも御承知でしょう、今の世間は一方ならず騒がしい世間ではございませんか」
「騒がしいよ」
と米友が言下にうなずきました。
「今日の世界が、騒がしい世界でございますことは、米友さんにも充分おわかりのことと思いますが、それでは何が騒がしいとお聞き申してみたら、さすがの米友さんも返答にお困りでしょう」
「そうよな、騒々しい世間じゃああるけれど、何が騒々しいと聞かれると、ちょっと挨拶に困るなあ」
「その通りでございます――私たちの周囲に何の騒がしいことがございますか、後ろを顧みれば、逢坂、長良の山々、前は東山阿弥陀ヶ峯を越しますると京洛の夜の世界、このあたりは多分、山科の盆地、今の時は丑《うし》三ツ、万籟《ばんらい》が熟睡に落ちております、この静かな世界におりながら、私もこの世界が騒々しいと思い、米友さんも騒々しいと思う、誰が騒いでおりますか」
「誰も騒ぎゃしねえけれど、天下がいってえに騒々しいんだよ」
「なるほど、天下と申しますると、天《あめ》が下《した》のことでございますな。天下がいったいに騒がしいと申しますのは、つまり、天が下に住む人間畜生から、山川草木に至るまでが、みんな動揺しているから、それで騒がしいんでございましょう。ところが、今晩は風も吹かず、雨も降らず、この通り静かなのに、天下がいったいに騒がしいとは、何を証拠に米友さん、それを言いますか」
「何を証拠ったって、お前《めえ》、裁判官じゃあるめえし――」
 米友が、そこで時代ばなれのした裁判官を引合いに出さなければ、そろそろ受けきれない事態に追い込まれて来たことがわかります。さりとて、弁信は、ソクラテス流の産婆術を以て、米友を苦しめんがために検問をかけたのではありません。自分の喋りまくる順序としてのプロローグに過ぎないのですから、直ぐに取ってかわって言いました、
「つまり、目に見える世界が騒がしいのではなく、目に見えない世界が騒がしいから、それで、なんにも知らぬ米友さんの心耳《しんじ》をさわがしてしまうのです、どんな静かなところへ置いても、この心の騒々しさは癒りません、その反対に、どんな騒がしいところへ置きましても、心が安定しておりますと、その静寂を乱すものはないのでございます。真常流注《しんじょうるちゅう》、外|寂《じゃく》ニ内|揺《うご》クハ、繋《つな》ゲル駒、伏セル鼠、先聖《せんしょう》コレヲ悲シンデ、法ノ檀度《だんど》トナル……」
 弁信が物々しく、あらぬ方に向って拝礼をしました。

         五

 こうして、二人は前後して歩きつつあります。
 本来ならば眼のあいた米友が先導をして、眼の見えない弁信がこれに従って行かなければならないのですが、この場合、絶えず弁信が先に立って、米友がついて行きます。言わず語らず、その超感覚に依頼しているものでしょう。
「だがなあ、今夜ここんところは静かだけれど、世間一体が静かというわけにゃいかねえなあ、江戸は江戸で貧窮組が出る、押込み強盗がはやる――辻斬りもたまにはある」
 これは、この男の生々しい体験でありました。
「近江の国へ来て見れば百姓一揆《ひゃくしょういっき》がある、京都へ行けば行くで、また血の雨が降ってるというじゃあねえか、どっちへ廻っても世界は騒々しいのが本当で、今晩ここんところだけが静かだと言って、お前の言うように、目にめえ[#「めえ」に傍点]る世界が静かで、目にめえ[#「めえ」に傍点]ねえ世界が騒々しいんだとばかりは言えなかろう、世間は騒がしいんだよ」
と米友が附け加えたのは、体験から来るところの感覚なのであります。それを弁信が抜からず引きとって、
「その通りでございます、米友さんのおっしゃることに間違いはありません、ですが、米友さんはやっぱり、目を持っておいでですから、二つの世界にわけて見ることができるんですね、米友さんの眼でごらんなすった関東関西いったいの騒々しさと、今そういう騒々しさから全く離れて見ましても、なお、その心の騒々しさを感覚の上に残して、焦《じ》れておいでなさる、でござりますから、それ、どっちへ廻っても騒々しいとおっしゃるのに無理はございません。ところが私のように、目によって物の形を認めることができない身、物のあいろを識《し》ることのできない身になってみますると、世間が静かな時は、この心も静か、世間が騒がしい時は、この心も騒がしい、外の世界と内の世界とは、全く同じなんでございます、二つにわけて考えることはできません」
 そう言うと、米友が存外|和《やわ》らかにそれを受けて、
「なんしろ、弁信さんに逢っちゃあかなわねえよ」
と言いました。
 それは、ヒヤかしと茶化しの意味で言ったのではありません。引きつづいて米友が言うことには、
「てえげえの人は、この目で見る世界のほかに世界はねえんだ、目でめえ[#「めえ」に傍点]るもののほかにこの目で見《め》えねえものはめえ[#「めえ」に傍点]ねえんだ、ところが、弁信さんときちゃあ、眼がなくっても物がめえるんだから違わあな、それから、おおよその人は、この耳で物を聞くほかには聞けねえんだ、耳で聞けねえ音というものはありゃあしねえやな、ところが弁信さんときた日にぁ、耳がなくったって物が聞えるんだから大したものさ――弁信さんに逢っちゃあ敵《かな》わねえ」
とあっさり米友が甲《かぶと》を脱いだのは、この怖るべきお喋《しゃべ》りの洪水にかかっては受けきれないからしての予防線ではないのです。事実、米友は、弁信の見えざる世界を見、聞えざる音声を聞くことのかん[#「かん」に傍点]の神妙には降参している。
 さればこそ、この不具者《かたわもの》に先《せん》を譲って、自分が後陣を承って甘んじている。米友に言葉の上で甲を脱がせはしたが、さりとて弁信は少しも勝ち驕《おご》るの色を見せず、首の包物の結び目に手をかけながら、ちょっと米友を振返って、
「米友さん、提灯《ちょうちん》をつけましょうかねえ」
「提灯なんざあ要らねえよ、今も言う通り、今夜は月も星もねえけれど、イヤに明るい晩なんだ、おいらは提灯は要らねえ」
 米友が提灯の必要なくして、道が歩けるくらいなら、まして況《いわ》んや弁信をやです。ところが言い出した弁信は、更にその主張をゆるめることをしないで、
「いいえ、私共は要りませんにしても、向う様が――向う様がそそうをなさるといけません、向う様のお邪魔にならないまでも、無提灯で人里を歩くのは礼儀にかないません、つけて参りましょうよ、あの大谷風呂でお借りした提灯を――」
「無提灯で歩いちゃあ礼儀に欠けるというのは、どういうわけなんだ」
「昔、江戸では端唄《はうた》がございました、夜更けて通るは何者ぞ、加賀爪甲斐《かがづめかい》か、盗賊か、さては阪部《さかべ》の三十か、という唄が昔ございました、夜更けて無提灯で歩くものは盗賊か、盗賊改めのお役向に限ったものなのです、ですから、世間の人が、無提灯で暗《やみ》の中をうろうろ致していれば、盗賊と間違えられてもやむを得ないものでござります。夜、人をたずねるにも、人を送るにも、または自分ひとり歩きを致しまするにせよ、家々の定紋のついた提灯に火を入れることが礼儀でございまして、礼儀は即ち用心でございます」
「そういうわけなら、大谷風呂で借りた提灯を点《つ》けて歩くとしよう」
 そこで米友が、腰にくくりつけていた一張の弓張提灯を取りおろして、丁々《ちょうちょう》と点火にとりかかりましたが、手器用に火がつくと、蝋燭《ろうそく》が燃え出し、鎖を引くと蛇腹《じゃばら》が現われて、表には桐の紋、その下に「山科光仙林」の五字が油墨あざやかに現われました。

         六

 提灯に火をつけたのも、その持役も、同じく米友でありましたけれども、この提灯持は、世間常例の如く先に立つことをせず、一足あとから、例によってはったはったと歩いて行きます。
 如法暗夜ではない、如法朧夜といったような東海道の上り口を「山科光仙林」の提灯が、ゆったりゆったりと渡って行く。
 逢坂、長良《ながら》を後ろにして、宇治、東山を前にした山科谷。しばらくすると米友が、はったと足の歩みをとどめて、
「やあ、何か唄が聞えるぞ」
と、耳朶《みみたぶ》の後ろから手笠をもって引立てて見ました。
「そうですね」
 米友の耳に入るほどの音声で、その以前に弁信が聞きとめていないはずはありません。
「盆踊りかね」
「今はその季節ではありませんね」
「念仏講かな」
「そうでもないようです」
「祇園囃子《ぎおんばやし》てやつかな」
「そうでもありません」
「鳴り物が入ってるな」
「はい」
「やあ、突拍子《とっぴょうし》もねえ、高い声で歌い出しやがった――聞き取れるよ、文句が聞き取れるよ、じっとしていてみな、おいらの耳でも立派に、歌の文句が聞き取れるよ」
 米友は、そこに暫く立ち尽して、耳朶に手をあてがったまま、心耳を澄まそうとしました。弁信も否み兼ねて、同じように立ちどまって、米友が歌の文句を耳にしかと聞き納めるのを待っている。
 ややしばし、佇立《ちょりつ》して心耳を澄ました米友が、釈然として次の如く、高らかにその歌詞と音調とを学びました。
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宮さん
宮さん
お馬の前の
ピカピカ光るは
何じゃいな
あれは朝敵
征伐せよとの
錦の御旗《みはた》じゃ
ないかいな
トコトンヤレ
トンヤレナ
[#ここで字下げ終わり]
「威勢のいい唄だよ」
 米友が附加して言いますと、弁信は先刻心得面に、
「あれは軍歌とい
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