二千の餓死者が京都の市中に曝《さら》されたといったような現実の体験は少しもなく、全国の諸侯は競《きそ》ってここへ集まるにつれて、諸般の景気はよくなる。幕末インフレの景気を、京都がひとり占めにしているといったようなもので、時代の中心は、江戸を離れて京都に帰ってしまったようなものですから、未来と将来とに思いを及ぼさない限り、京都の市場はインフレの天地であります。
そうして景気というものの前兆も、現証も、まず花柳界に現われたものだから、京都の遊廓《ゆうかく》の繁昌というものが、前例を越えているというのもさもあるべき事です。
そこで当然、日本色里の総本家と称せられた島原の廓《くるわ》はいよいよ明るい。今宵《こよい》も新撰組の一まきらしいのが大陽気に騒いで引揚げたことのあとの角屋《すみや》の新座敷に、通り者の客の一人が舞い込んでいる。この人のあだ名を俗に「村正《むらまさ》」と言っている。士分には相違ないが、宮方か、江戸かよくわからない。江戸風には相違ないが、さりとて、生《は》え抜きの江戸っ児でない証跡は幾つもある。遊び方はあんまりアクが抜けたとはいえないが、「村正どん」で相当以上に持てている。村正といえば、相当の凄味《すごみ》のある名ではあるが、この通客はあんまり凄味のない村正で、諸国浪人や、新撰組あたりへ出入りのとも全く肌合いが違い、まず体《てい》のいいお洒落《しゃらく》に過ぎない。
しかし剣術の方は知らないが、学問だけはなかなかある。ちょいちょい脱線したところを見ると、洋学がかなり達者なようである。多分その洋学で、多分の実入《みい》りがあると覚しく、金廻りはかなりよろしく、使いぶりも悪くない。それが「村正村正」で持てるのは、人柄そのものが、村正そのものの名からして起る凄味とは縁が遠い男であるにかかわらず、さしている刀だけが自慢の「村正」であるというところから、あたりが「村正村正」ともてはやしたというに過ぎない。事実、村正を差していると自分から花柳界へ触れ込む男なんぞに、そんな凄いのはないはず。
この男は、勝負事――といっても当事流行の真剣白刃のそれではない、一月から十二月までの花と花とを合わせて遊ぶ優にやさしい勝負事が大好きで、勝った時はいいが、負けてすっからかん[#「すっからかん」に傍点]になると、ドタン場で自慢の「村正」を投げ出し、さあ、これを抵当《かた》に取
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