な親火が大きくなると、娘は、その光で、自分が失礼をした当の人を見届けようとする先に、またこの人に失礼の重々のお詫《わ》びをしなければならない先に、室の四隅をおろおろとして見やったのは、人よりは猫が可愛かったからです。そうすると早くも認めた丑寅《うしとら》の方一隅に向って、
「あれ、あそこに玉が――」
かけつけて、手燭をつきつけた、そのホンの瞬間から、娘が声を放って泣きました。
「あれ、玉が殺されている、玉が死んでいる、あれあれ玉が――」
ここに竜之助なる人間の存在などは、全く眼中にも脳中にも置かず、ひとり舞台の狂乱でした。
四十五
娘は、そこで絶え入ってから、三日の間は、猫の死骸を抱いたまま枕が上らなかったそうです。
竜之助は、その夜の明けないうちに、またここをさまよい出でて行方が知れません。
その夜が明けても、誰もこの座敷をおとなうものがありませんでした。いつもならば御陵隊士の片われだの、それを訪ねて来る浪客などで甚《はなは》だ賑わうのですが、いつになっても人が来ないだけに、かえってすさまじいものがあるのです。
しかし、表向き隊の屯所《とんしょ》の方面は、今暁、昨晩からかけてものすごい人の出入りで、ものすごい殺気が溢《あふ》れ返っていると見えたが、それも、やがて、げっそりと落ち込んだように静かになってしまったから、今朝の月心院の庫裡《くり》の光景というものは、冷たいような、寒いような、生ぬるいような、咽《む》せ返るような、名状すべからざる気分に溢れておりました。
そこへ、饅頭笠《まんじゅうがさ》に赤合羽といういでたちで大小二人の者が、突然にやって来て、溜《たまり》の前で合羽をとると、警板をカチカチと打つ。
「おう!」
と答えて中から出て来たのは、これより先、いつのまにか来着して一隅に寝ていた一人の壮士でありました。
そこで、右の三人が、例の獅噛火鉢《しがみひばち》の周囲《まわり》に取りつくと、合羽を取った大小二人の者は、南条力と、五十嵐甲子雄でありました。
「いやはや、すさまじいものを見せられた、先般の池田屋斬込みよりも、これはまた一段の修羅場《しゅらば》だ、やりもやったり!」
と三人のうち、誰からとなく、まず斯様《かよう》に口を切って、しばらく沈黙が続いたのは、つまり、三人が、おのおのまずお座つきに発すべき感歎詞が、期せずし
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