、なんらの触るるところがない、全く存在を眼中に置いていない話しぶりだったが、やっぱり、かれに同情すべくして、ここに同情なり難きおのれの身の上に引きくらべての利己心から出た恋愛の讃美に過ぎない。
 さて、出家を遂げた重清は、それから紀州のなにがしの島とやらへ庵《いおり》を結んで、行いすましていたが、ある時、劇《はげ》しい疾病に取りつかれ、苦悩顛倒している枕許へ、官女朝霧の亡魂が鬼女となって現われ、重清入道を介抱して、その頭を撫《な》でると、さしもの病苦が忽《たちま》ち平癒した。わざわざ病気見舞に来るまでの親切があったなら、なにも鬼の面などをかぶらずに、素地《きじ》の※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1−91−26]《ろう》たけた官女で、十二単《じゅうにひとえ》かなんぞで出たらよかりそうなものを、鬼に撫でられたんでは、入道もあんまりいい心持もしなかったろうけれど、利き目は確実にあったらしい。その功積って、重清入道も、朝霧の魂魄も、共に成仏し、末代その証《あかし》として、重清入道は死ぬ時には己《おの》れの頭を残すように言って置いたが、後世、その頭をここに祭って、あがめて鬼頭天王と申し奉る、これが、すなわち鬼頭様の由来だと、堂守の尼が細かに説明してくれたのを、手にとるように覚えている。
「そこで堂守の婆さん、お前さんに聞いてみたいのは、何のよしみで、お前さんが、その恋塚の堂守をなさるのだね。後伏見院の御代《みよ》だということだから、十年や二十年の昔ではあるまい、まさかお前さんが、重清入道や、朝霧官女の身よりの者という次第でもなかろう、世が世ならば当然、その第二の犠牲たるお八重さんという正式女房のする役まわりが、今のお前さんの役目というところだが、無論、お前さんがそのお八重さんの成れの果てであろうはずはない、もし、そうだとしたら、そういう片手落ちの同情ばっかりはせぬはずだが、お前さんのは、ただの堂守ではなく、全く二人の恋愛の成就に同情しきっている、そこの気持がよくわかるだけに、お前さんの立場がわからない、どうです、婆さん――婆さんと言ったのは、ついした口うらだから勘弁して下さいよ、どうお見かけしても、いや、この暗いとこから、どうお聞き違いしても、お前さんは四十以上の女ではない、四十といえば女が世を捨てるにはまだ早い、それに声もよし、品も相当備わっておいでだし、ことに
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