中の二人の泣き声が、いつしか、近江の、大津の宿のお豊と真三郎の姿を浮き上らせて来る。その真白い手は、僧の形に姿を変えた真三郎が、しきりに焦《あせ》って伸ばす手だ――届かない、お豊が助けて抱き上げて、背たけのつぎ足しをしてみたが、それでも届かない。そこで二人が崩折れて、よよとばかりに泣いている。
「馬鹿な奴、いくら探したって無いものは有るものか、いいかげんにあきらめて往生しろよ、毎晩毎晩そうして合奏をつづけては、下手な左官の壁塗りのような、薄っぺらなうつしえの実演をやりつづけているそうだが、塗直し、焼直しも、そうそう手が重なっては、凄くもなんともないぞ、市中では鬼頭堂の堂守まで鼻についているぞ、いまに犬も食わないことになるぞ、いいかげんに引込め、引込め」
いや、鬼頭天王の堂守といえば、もういい年だが、あれで若い時は相当に美《よ》かったぜ、今こそ堂守で行い澄ましているが、まだ見られる色香、いや、まだ聞かれる声だった。
鬼頭天王とは、いったい何だと反問したら、あの堂守の尼が、妙に上ずった肉声をあげて、こんなことを聞かせたぞ――
昔、北面の武士に兵部重清《ひょうぶしげきよ》というがあって、それが正安二年の春、後伏見院が北山に行幸ありし際、その供奉《ぐぶ》の官女の中に、ええ、何と言ったかな、そうそう、朝霧という美女がいた、それを兵部重清がみそめてしまった、つい、いい首尾があって、連理の交わりとやらを為《な》したそうだ。今晩は頭がいいので、尼の口早に話した人の名も、年号も、ちゃあんと覚えているぞ。その上に、連理の交わりだなんて洒落《しゃれ》た文句も覚えている。あの堂の婆あめ、その艶物語《つやものがたり》を語る口に肉声を帯びていたのは怪しからぬ、恋と無常を語り聞かす枯れきった声ではない、あれではまだ相当の年だ、四十かな、三十代は過ぎてるらしいが、五十の声はかからないぞ。おれが一人、さまよい込んだので、彼女も異様に昂奮したか、頼みもせぬに、その重清と朝霧の恋物語を、からくりの口上もどきで、面白おかしく語り聞かせたが、さあ、それから二人の身の上はどうなったかといえば、左様、二人の仲を、重清の父が見て、これを危ぶんだ――というのは、相手がやんごとなきあたりの官女では、悴《せがれ》の行末が思われたからだろう。そこで、体《てい》よく悴を口説《くど》いて、別に似合わしい縁辺を求めて、八
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