|寂《じゃく》ニ内|揺《うご》クハ、繋《つな》ゲル駒、伏セル鼠、先聖《せんしょう》コレヲ悲シンデ、法ノ檀度《だんど》トナル……」
弁信が物々しく、あらぬ方に向って拝礼をしました。
五
こうして、二人は前後して歩きつつあります。
本来ならば眼のあいた米友が先導をして、眼の見えない弁信がこれに従って行かなければならないのですが、この場合、絶えず弁信が先に立って、米友がついて行きます。言わず語らず、その超感覚に依頼しているものでしょう。
「だがなあ、今夜ここんところは静かだけれど、世間一体が静かというわけにゃいかねえなあ、江戸は江戸で貧窮組が出る、押込み強盗がはやる――辻斬りもたまにはある」
これは、この男の生々しい体験でありました。
「近江の国へ来て見れば百姓一揆《ひゃくしょういっき》がある、京都へ行けば行くで、また血の雨が降ってるというじゃあねえか、どっちへ廻っても世界は騒々しいのが本当で、今晩ここんところだけが静かだと言って、お前の言うように、目にめえ[#「めえ」に傍点]る世界が静かで、目にめえ[#「めえ」に傍点]ねえ世界が騒々しいんだとばかりは言えなかろう、世間は騒がしいんだよ」
と米友が附け加えたのは、体験から来るところの感覚なのであります。それを弁信が抜からず引きとって、
「その通りでございます、米友さんのおっしゃることに間違いはありません、ですが、米友さんはやっぱり、目を持っておいでですから、二つの世界にわけて見ることができるんですね、米友さんの眼でごらんなすった関東関西いったいの騒々しさと、今そういう騒々しさから全く離れて見ましても、なお、その心の騒々しさを感覚の上に残して、焦《じ》れておいでなさる、でござりますから、それ、どっちへ廻っても騒々しいとおっしゃるのに無理はございません。ところが私のように、目によって物の形を認めることができない身、物のあいろを識《し》ることのできない身になってみますると、世間が静かな時は、この心も静か、世間が騒がしい時は、この心も騒がしい、外の世界と内の世界とは、全く同じなんでございます、二つにわけて考えることはできません」
そう言うと、米友が存外|和《やわ》らかにそれを受けて、
「なんしろ、弁信さんに逢っちゃあかなわねえよ」
と言いました。
それは、ヒヤかしと茶化しの意味で言ったのではありま
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