場を見て、挙動不審で拘引を試みようと思った旅のやくざ者を、上手の手から洩《も》らして、ちょっと歯噛みをさせられたにしてからが、その執念のために、京都から進入して、もっぱらこれが追跡に当るほどのことは想像されない。
 何か、もっと大きい使命があって、その利腕を見込まれたればこそ、京の天地へかく身をやつして、当時、血の花の咲く島原界隈に網を張っているものと見なければならない。
 この晩方、ひとり、島原を追い立てられたこの怪しの客に、何か見るところがあればこそ、お宿もとまでお送りを名として、近づいて来たことに相違ないとすると、そうなってみると、前の長身の客が、ははあ、送り狼と冷笑したのも、あながち、からかいの言い分ではない、転べば食うのである。いや転ばなくても、次第によっては転ばせて、捕縄《とりなわ》に物を言わせる凄味《すごみ》の相手であることは、つい今頃、送られる身になって、ぴーんと来ていない限りはないのだが、草津の駅でがんりき[#「がんりき」に傍点]を咎《とが》めたように、頭ごなしに咎められない。がんりき[#「がんりき」に傍点]を引捕ろうとするような、待ったなしの出足では近寄れない、相手が違う、ということは、近寄る方でも、最初からその勘にあることです。ですから、この芝居は、最初から双方の腹が読めきってやっている芝居で、自然、その渡りゼリフも、双方ともに一物あっての受け渡しなのですから、両方ともに相当の凄味が、底を割ってしまっていて、表面だけはしらばっくれた外交辞令になっている、というのだけのものだから、見ていても存外白ける。これが七兵衛あたりの役者になると、同じ狸同士でも、そこにはまた相当のコクもあろうというものだが、最初から芝居がかりがお客に見えたのでは、芝居にならない。素《もと》と素とがカチ合っているようなものです。そこで、おたがいが兼合いながらの問答であります。
「エエ、お客様のお宿もとは、どちら様でございましたかな、お帰り先は」
 またしても、お宿もと、お宿もと、そう露出《むきだし》に鎌を振り廻さなくとも、身分素姓が知りたいならば、もう少し婉曲《えんきょく》な言い廻しもあろうものを、いったい、最初からセリフが無器用だ。そうそう繰返して、詮索めかして出られると、憤《おこ》らない相手をも憤らせてしまうではないか。ところが今日の相手は存外淡泊で、
「そのお宿もとがな
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