お銀様にこう言われて、若い男女はたしなめられでもしたように感じたと見えて、
「恐れ入りました、現在のわたしたち二人は、死ぬよりほかに道のない二人でございます、ねえ、豊さん、そうではありませんか」
「あい、わたしは、お前を生かして上げたいけれども、こうなっては、お前の心にまかせるほかはありませぬ」
と女から言われて、男はかえって勇み立ち、
「嬉しい!」
 それを女はまたさしとめて、
「まあ、待って下さい」
「いまさら待てとは」
「ねえ、真さん、死ぬと心がきまったら、心静かに落着いて、もう一ぺん考え直してみようではありませんか」
「ああ、お前は、わたしと一緒に死ぬと誓いを立てながら、その口の下から、もうあんなことを言う」
「いいえ、死ぬのは、いつでも死ねますから、死ぬ前に申し残したいことはないか、それをもう一ぺん、思い返して下さい」
「そういう心の隙間《すきま》が、もうわたしは怨《うら》みです、申し残したいことがあれば、どうなるのですか、わたしはもう、この世に於ての未練は少しもありませぬ、片時《かたとき》も早く死出の旅路に出たい」
「それでも、もし、思い残したことが一つでもあっては、
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