ねる代物《しろもの》ではないはずなのに、おぞくも生死を共にして抱合いの形に落ちてしまった。それがわからない。
 がやがや騒ぐ水手《かこ》楫取《かじとり》どもをおさえた船頭が、またも何か驚異の叫びを立てて、
「おかしい……二人とも、ちっとも水を呑んでいねえぞ」
と言いました。
 水を呑まない溺死人ということは、この際、考うべきことでした。
 抱き合って身を投げたものが、浮きつ沈みつ、ここまで漂い来《きた》ることの間に、水を一滴も飲まないということは有り得べきことでない。もし飲んでいないとすれば、それは飲まないのではなく、飲ましめなかったのだ。満々たる水の世界に身を投じて、ともかく、相当の深さまで究《きわ》めたはずのものが、水を飲んでいないということは、あらかじめ水を飲ましめないようにしてあったのか、そうでなければ、舟を出る時に、のみたくも飲めないような生理状態になっていたのか、ということが疑問になるのです。
 この疑問は、物に慣れた船頭が直ちに解釈してくれました。
「それは、この娘に水を飲ませまいとして、このおさむらいが当てたんですよ、一当て当身《あてみ》をくれて息の根をとめて、それから
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