大家、諸末流の批評、検討、偶語、漫言雑出、やがて江戸の講武所の道場のことに帰一合流したような形になって、自然、男谷《おたに》の剣術のことに及ばんとした時でありました。
 これをこのほど、将軍上洛の時の人名表によって見ると、
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  講武所 頭取
御使番次席   松平仲
御徒頭次席   一色仁左衛門
  同 砲術師範役
西丸御留守居格 下曾根甲斐守
        榊原鐘次郎
  同 剣術師範役
御先手格    男谷下総守
  同 槍術師範役
二丸御留守居格 平岩次郎太夫
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ということになっている。つまり武家の表芸術、剣と、槍とを代表して、この二人だけが将軍について京都へ来ている。以て天下の芸術の代表の大家たることを知るべしと言わなければならぬ。
 何と言っても、江戸が武将の幕府である限り、芸術の秀粋も江戸に鍾《あつ》まることは当然である。その江戸芸術の粋たるものは当時、講武所にあるということも、避け難い結論となっている。その講武所の剣術に於て、男谷が押えていたということも、一同に異論のないことになっている。芸術の士の常として、屈下するをいさぎ
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