の帆船に過ぎないが、それが、彼方の沖合に碇泊している。その親船に向って、雑多な人が、小舟に乗込んで岸を離れようとする光景が、一種の写真画となって、その書物のうちにはさまれている。船が手頃の船だし、岸を離れ、国を離れて海洋へ乗り出さんとする刹那が、じっくりと駒井の心をとらえたために、その前後の記事物語を熱心に読み出すことになりました。駒井が多くの蔵書家であり、同時にそれが単なる死蔵書ではなく、充分に読みこなす人であり、読みこなすのみではない、これを実地に活用する稀人《まれびと》であることは、ここに申すまでもないが、駒井その人が、読書というものには裏も表もある、裏と思ったのが、表であって、読みつくし、味わいつくしたと信じて投げ出して置いた書物から、新たに多大なる半面の内容を贏《か》ち得たということは、このたびの著しい経験でありました。
 さて、この船出の写真絵を見ると、諸人《もろびと》が皆、祈っている。日頃、金椎《キンツイ》がするように、小舟の中に行く人も、岸に立って送る人も、みな祈っている。
 彼処《かしこ》にかかっている親船こそ、例の五月号に相違ないのであります。そうしてこれらの諸人は
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