一筋に間違いなく大阪へお帰りなさいよ、途中で魔がさすといけませんからね、間違って三輪の里へなんぞ踏み込もうものなら、今度こそ取返しがつきませんよ、それは申して置きます」
「はい、有難うございます」
その時にまたしても鶏の鳴く音――
お銀様の夢が本当に破れました。無論、夢中に現われた人の一人もそこにあるはずはなく、衝立《ついたて》はあるが、その後ろから正銘のここの雇い婆さんが現われて、
「お目ざめでございますか。昨晩は、たいそうお疲れのようで、よくお休みになりました。今日は雨もすっかり上りました、お天気は大丈夫でございます。それそれ、昨晩お使がございまして、この上の大谷風呂から、あなた様へこのお手紙でございました」
一封の書状を取って、お銀様の枕許《まくらもと》に置く。
十七
逢坂山《おうさかやま》の大谷風呂を根拠地とした不破の関守氏は、その翌日はまた飄然《ひょうぜん》として、山科から京洛を歩いて、夕方、宿へ戻りました。
「お帰りやす、どちらを歩いておいでやした」
お宮さんが迎える。
「行き当りばったりで、古物買いをやって来た」
と言って、不破の関守氏は風呂敷包から、そのいわゆる古物の数々を取り出して、お宮さんに見せました。
古ぼけた木像だの、巻物の片っぱしだの、短い刀だの、笄《こうがい》、小柄《こづか》といったようなものが出ました。好きな道で、暇に任せて、古物すなわちこっとう[#「こっとう」に傍点]漁《あさ》りをやって来たものらしい。
「この紙きれは、これは確かに奈良朝ものですよ、古手屋の屏風《びょうぶ》の破れにほの見えたのを、そのまま引っぺがさせて持って来たのだ」
「えろう古いもんでおますな」
「それから、この金仏様《かなぶつさま》――これが奈良朝よりもう少し古い、飛鳥時代《あすかじだい》から白鳳《はくほう》という代物《しろもの》なのだ、これは四条の道具店の隅っこで見つけました」
「よろしい人相してまんな」
「こっちを見給え、ずっと新しく、これがそれ大津絵の初版物なんだ」
「大津絵どすか」
「大津絵といえば、藤娘、ひょうたん鯰《なまず》、鬼の念仏、弁慶、やっこ、矢の根、座頭《ざとう》、そんなようなものに限られていると思うのは後世の誤り、初代の大津絵は皆このような仏画なのだ」
「そうどすか」
「それから、ズッと近代に砕けて、これが正銘の珊瑚《さんご》の五分玉、店主はまがい物と心得て十把一《じっぱひと》からげにしてあったのを拙者が見出して来た、欲しかったら、お宮さん、君に上げましょう」
「まあ、有難うございます」
といったようなあんばいで、暇つぶしに彼は、山科から京都くんだりを遊んで来たもののようだが、必ずしも、そうばかりではないらしくもある。
その翌日もまた宿を出かけて、同じような時刻に帰って来て、またこっとう[#「こっとう」に傍点]物を懐ろから引張り出して、お宮さん相手に説明する。お宮さん、白鳳期がどうの、弘仁がああのと言ってもよくわからないが、そこは商売柄、いいかげんに調子を合わせると、不破の関守氏も、いい気になって、次から次へでくの坊を引っぱり出して悦に入るが、どうかすると、こっとう[#「こっとう」に傍点]以外の珍物を引っぱり出して、よろしかったらこれはお土産《みやげ》として君に上げようと来るものだから、お宮さんは、思いがけない珊瑚の五分玉だの、たいまいの櫛《くし》だのというものにありつけるので嬉しがる。
「そないにこっとう[#「こっとう」に傍点]ばかりあつめて、どないになさいますの、小間物屋さんでもおはじめなさる?」
とお宮さんが呆《あき》れるほど、毎日毎日、がらくたを掻《か》き集めて来る。ある時は脱線して、
「お宮さん、これはダイヤモンドの指輪です、その当時は三百円もしましたよ、よろしかったら君に上げよう」
「まあ、三百円のダイヤモンドだっか」
「今時は、三百円のダイヤなどは誰も振向いても見ないが、その当時はこれが幾つもの人間の運命を左右するほどの魅力があったものだ、今日にすると十倍以上だろうな」
「では、三千円だっか」
「それ以上はするだろう」
「本物だっか」
「はは、それが、お宮さんの魅力となって、貫一の一生を誤らせたというわけなんです、実は……」
この分だと、貫一の着た高等学校の制服だの、赤樫《あかがし》の持った鰐皮《わにがわ》のカバンまで探して来るかも知れない。閑話休題としても、当人は閑人気分《ひまじんきぶん》が充分で、一人で出かけることもあれば、一僕を召しつれて出て戻って来ることもある。
こっとう[#「こっとう」に傍点]が飛び出さない時は、地所家屋のこのごろの相場のことなどが口に出るものですから、風呂の者は、この人はこっとう[#「こっとう」に傍点]屋を営み、その掘出し
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