って、明治後期以後に慣用されたようなキザな生ぬるいものではない。
 勤王と言わず、佐幕と言わず、これが中心に活躍した壮士はすべて芸術の士である。芸術に於て彼等は必ずしも大家ではなかったけれども、それを生命とすることに於て、大家以上の精進力を持っていた。たとえば長州に於ては、桂小五郎もこの芸術家であった。薩摩に於て、西郷は芸術家たるべくして、負傷と体質から、その主流には外《はず》れたが、桐野は異彩ある芸術家の一人である。幕府に於て、近藤勇以下はまたその芸術家である。
 明治維新の推進力は、この種の芸術家の手にあった。暗殺はその一部分の演出表現に過ぎない。
 従って、当時の本物の志士で、談ひとたび芸術に亘《わた》ると神飛魂走せぬものはない。その点にはおのずから一種の見識があって、断じて一歩も譲らない剣刃上の覚悟があると共に、他の長を認めてこれを公平に鑑別するの雅量をも相当に持っていたらしい。ドコの藩で、誰がいかなる剣を使うかということの詮索《せんさく》は、彼等の間では、専門学者の研究慾と同じような熱を持っている。
 これらの連中の長夜の談義は、はしなくその芸術のことに燃えて、諸国、諸流、諸大家、諸末流の批評、検討、偶語、漫言雑出、やがて江戸の講武所の道場のことに帰一合流したような形になって、自然、男谷《おたに》の剣術のことに及ばんとした時でありました。
 これをこのほど、将軍上洛の時の人名表によって見ると、
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  講武所 頭取
御使番次席   松平仲
御徒頭次席   一色仁左衛門
  同 砲術師範役
西丸御留守居格 下曾根甲斐守
        榊原鐘次郎
  同 剣術師範役
御先手格    男谷下総守
  同 槍術師範役
二丸御留守居格 平岩次郎太夫
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ということになっている。つまり武家の表芸術、剣と、槍とを代表して、この二人だけが将軍について京都へ来ている。以て天下の芸術の代表の大家たることを知るべしと言わなければならぬ。
 何と言っても、江戸が武将の幕府である限り、芸術の秀粋も江戸に鍾《あつ》まることは当然である。その江戸芸術の粋たるものは当時、講武所にあるということも、避け難い結論となっている。その講武所の剣術に於て、男谷が押えていたということも、一同に異論のないことになっている。芸術の士の常として、屈下するをいさぎよしとしない。独創を尚《とうと》ぶが故に、模倣と追従とを卑しみ悪《にく》むことは変りはないが、自然、乱調子の中にも、長を長とし、優を優とする公論の帰するところも現われようというものです。
 男谷の剣術に就いては、これらの壮士といえども、多くの異論を起し易《やす》くない。男谷と言えば、その次には、今時の今堀、榊原、三橋、伊庭、近藤というあたりに及ぶべきところだが、会談が溯《さかのぼ》って島田虎之助が出る。島田を言う次に、勝麟《かつりん》の噂《うわさ》が出るような風向きになりました。
 勝麟太郎の名は、剣術としての名ではない、当時は幕府有数の人材の一人として、何人《なんぴと》の口頭にも上るところの名でありました。単に芸術の士だけではない、これからの天下の舞台を背負って立つ幕府方の最も有力なる人材の一人として、誰人にも嘱望されている名前でしたが、ここでは単に芸術の引合いとしての勝麟の名が呼び出される。
「いったい、勝は剣術は出来るのかいなア」
「勝の剣術は見たことないよ」
「だが、勝に言わせると、おれは学問としても、修行としても、ロクなことは一つもしていないが、剣術だけは本当の修行したと言っているぜ」
「口幅《くちはば》ったい言い分だな、ドレだけ修行して、ドレだけ出来るのか、勝に限って、まだ人を一人斬ったという話も聞かない」
「若い時は、あれで盛んに道場荒しをやったそうだ」
「いったい、彼は何の流儀で、誰に就いて剣術を学んだのだ」
「師匠は島田虎之助だが、剣術にかけては島田より家筋が確かなんだ、勝はあれで男谷の甥《おい》に当るんで、勝の父なるものが、男谷の弟なんだ、それが勝家へ養子に来たのだから、れっきとした武術の家柄なのさ――いやはや、その勝の父なるものが、箸《はし》にも棒にもかかった代物《しろもの》ではない」
と一座の中の物識《ものし》りが、勝麟太郎の家柄を洗い立てにかかったのが、ようやく話題の中心に移ろうとする時でありました。
 そこへ、ひょっこりと姿を現わして、
「やあ諸君、おそろいだな」
と、抜からぬ面《かお》で言いかけたのが、斎藤一でありました。

         五十一

「斎藤が帰って来たぞ」
「一人で帰って来たぞ」
「隊長はどうした」
 その詰問に斎藤が騒がぬ体《てい》で答える、
「隊長は今そこまで来ている、僕は別に人を一人つれて、一足先に帰って来たよ
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