穴二つということがそれなんです、あんまり強く人を恨んで人につきたがるものですから、かえって、お前さんが人につかれてしまいました。今のお前さんの狂態痴態というものを見ていると、京の六条でうたわれた大家の坊《ぼん》ち真三郎はんの本色は少しもなく、あの三輪の里の不良少年が、そっくり乗りうつりの形になっておりますよ、お気をおつけなさい」
「左様でございましたか、つい、とりのぼせましたために、見苦しいところをごらんに入れて、まことに相済みません、改めて自省を致します」
「殊勝なことです、そういう和《やわ》らいだ気持になることが自分を救います、同時に人を救うわけになるのですね、憎み、恨み、呪うことによって、決して、自分も、人も、救われるということはありませんからね」
「有難うございます」
「昔の真さんにおかえりなさい」
「そう致しましょう」
「真さん」
「はい」
「京の六条の蔦屋《つたや》の坊《ぼん》ちの色男の真三郎さんは、あなたですか」
「はい」
「人を憎むことをやめて、人を愛しましょうよ」
「はい」
「そんなに、しゃちょこばらないで、こっちへいらっしゃいよ」
「はい」
「わたしも淋《さび》しいんです、秋の夜長でしょう、小町塚でしょう」
「はい」
「卒都婆小町、関寺小町はあんまり寂しいねえ」
「はい」
「少しは察して頂戴な――お前さんのような優男をお伽《とぎ》にして、このながながし夜を一人ならず明かしてみたい、弁慶と小町は馬鹿だと言いました」
「はい」
「まあ、可愛らしいこと、身じまいを直しているところが何という頼もしいんでしょう、そうして身なりをきちんとし、髪を取上げたところは、どう見ても水の垂れる色男――お豊さんとやらが惚《ほ》れるも無理はない」
「はい」
「お豊さんのためには死んで上げたけれども、わたしのためにはどうして下さるの」
「…………」
「そんなに、もじもじしないで、こっちへお入りなさい、誰も取って食おうとは言いませんよ」
「…………」
「そんな気の弱い、それは意気地無しというものです、女が許してお伽を命ずるのに、それを聞かない男がありますか」
「…………」
「どうしたのです、その突っころばしは、あんまり骨がないので歯が痒《かゆ》い」
焦《じ》れ立ったお銀様は、もう経机の前に経かたびらを装うて、算木《さんぎ》筮竹《ぜいちく》を弄《ろう》している女易者の自分でな
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