を平気で漂うがままに、あえて正面衝突も、木端微塵《こっぱみじん》も辞することなき、無謀千万の行き方でやって来るものですから、こちらの船頭が、火のついたように地団太を踏んで、
「あ、あ、いけねえ、何とか楫《かじ》を取れねえのか――」
先方は小舟だけに操縦が容易である、こちらは大船だけに運用が自由にならぬ、避けようとすれば先方は、ほんの一挙手の労で済むのだが、それをそうしないために、こちらの船頭は倍級の狼狽をしなければならない。それでも多年の熟練でようやく方向転換ができて、正面衝突だけは避けられたが、その途端に、棹《さお》をやって邪慳《じゃけん》に相手方の小舟を突き放してみると、そこにも手ごたえがなく、すんなりとはなれる。
「なあんだ、空っ舟だ――」
相手がありさえすればこの場合、舟の衝突は免れても、舟夫同士に相当の口論、腕立てが起るべきところを、相手が人なし舟では喧嘩にならぬ。乗る人がなくて霧の中からさまよい出て来て、突き放さるればまた文句なしに突き放されて行く小舟を、船頭は腕のやり場もなく、しばらく見ていたが、それを見のがしにしなかったのがお角さんです。
「舟夫《せんどう》さん、ちょいと、その舟を留めてみて頂戴、こっちへ引き寄せて見せてもらうわけにはゆかないかねえ」
お角さんだけが、この人なし舟を、人なし舟として突放しにする気にならなかったのは、何かこの女の勘にさわるものがあったればでしょう。勘というのは、弁信法師に限ったわけではない、脳味噌の働きの利鈍によって、何人にも勘の能力の大小がある。弁信法師の如きは超人的で、それは何者にも比較にならないが、お角さんの如きは、女性として最も勘のすぐれた方の女性なのです。目から鼻へ抜ける勘持ちで、いわゆる、こらえぬ気象なのです。ただ、「勘」という字が、お角さんの場合に於ては、「疳」とか「癇」とかいう字を使った方が適切な場合が多かろうというものです。
癇走るお角さんの命令によって、船頭は二言ともなく、いったん突き放した小舟を、また自分たちの大船の船べり近く引き寄せて、生かそうと殺そうと御意のまま、という体で、お角さんの眼の前へ突きつけたものです。
三
いくつもの提灯《ちょうちん》をさげつつ、この引き寄せられた舟の中へ入り込んで見たのは、お角さんをはじめ、伊太夫周囲の取巻連でありました。お角さんが見
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