い右のような趣意で、このおっちょこちょいの野郎がもくろんだ、そのたわけへ、今度、一万両出す金主がついた――この野郎が有頂天《うちょうてん》でよろこぶのも無理はない。それを神尾が納得したと見て取って、この野郎が、立てつづけに並べることには、
「有難い仕合せで――え、へ、へ、へ。ところで、せっかくありついた、この大枚一万両の使用方法についてでげす、今度また新たに鐚が産みの親心てやつで、苦心惨憺を致さなけりゃ相成らん、なんしろ絵かきが五十八人もいて、文書きの方はたった八名、一万両がとこを、その方に割りふるてえと、また分前でもんちゃく[#「もんちゃく」に傍点]が起るに相違ねえ、そうなると、鐚がせっかく創立の功も玉なし、よって、これが分前に就いて、慎重なる考慮を払わなくちゃならねえんでげして、何か殿様、よいお知恵がございましたら拝借――お願い……」
「馬鹿――そんな要らねえ金があるなら、時節柄、大砲の一つもこしらえて、品川のお台場へ献納しろ」
「いや、そう物事を現実にばかりお取りになっては、人生に潤いというものがございませんな。せっかくのことに、鐚が思案を致しましたところによりますと、この一万両の公平なる分配に就きましては、大盤振舞《おおばんぶるまい》――つまり、惣花主義で会員一同に恨み越えなく行き渡るように公平なる分配を致したいと存じまして、その一万両で、そっくり、河岸《かし》へまいりましてお刺身を買い占めたいとこう思うんでげすが、いかがなもんでがんしょう」
「ナニ、河岸へ行って、一万両の刺身を買い占める――そうして、それをどうするのだ」
一万両は多くはないが、それでも一万両の刺身を買い占めた者は江戸開府以来いまだあるまい。紀文、奈良茂《ならも》の馬鹿共といえどもよくせざるところ、鐚の計画の奇抜なるには、さすがの神尾も、ちょっと面負けの形で眼をみはると、鐚はいよいよ乗気になって、
「一万両がとこ、お刺身を買い求めましてな、それで、赤いところを絵かきに食わせ――青いところを文書きに食わせる、そういう御馳走の配膳に致しましたならば、一同否やはござんすまい」
「ふーん」
こいつ、どうやら、正気でこれを言っているらしい。こういう奴に御勘定奉行をさせれば、公儀の金を掴《つか》み出して、女郎買いをもやり兼ねないと、神尾も底の知れない馬鹿さ加減に、口あんぐりとその面《かお》を見直して
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