ったから、そろそろ歩きながら貰って行ったが、箱根へかかって、きんたまが腫《は》れて膿《うみ》がしたたか出たが、がまんをして、その翌日、二子山まで歩いたが、日が暮れるからそこにその晩は寝ていたが、夜の明け方、飛脚が三度通りて、おれに言うには、手前ゆうべはここに寝たかと言う故、あい、と言ったら、強い奴だ、よく狼に食われなんだ、こんどから山へは寝るなと言って銭を百文ばかりくれた。三枚橋へ来て茶屋のわきに寝ていたら、人足が五六人来て、こぞうなぜ寝ていると言いおるから、腹が減ってならぬから寝ていると言ったら、飯を一ぱいくれた。その中に四十ぐらいの男が言うには、おれのところへ来て奉公しやれ、飯はたくさん食われるからと言う故に、一緒に行ったら小田原の城下の外の横町にて、漁師町にて喜平次という男だ。おれを内へ入れて、女房や娘に、奉公につれて来たから、可愛がってやれと言った、女房娘もやれこれと言って、飯を食えと言うから、飯を食ったらきらず[#「きらず」に傍点]飯だ、魚はたくさんあってくれた、あすよりは海へ行って船を漕《こ》げと言うから、江戸にて海へは度々《たびたび》行った故、はいはいと言っていたら、こぞうの名は何というかと聞くから、亀というと言ったら、お鉢の小さいのを渡して、これに弁当をつめて朝七つより毎日毎日行け、手前は江戸っ児だから、二三日は海にて飯は食えまいから持って行くなと喜平が言いおる、おれは江戸にて毎日海で船に乗ったから怖《こわ》くないと言ったら、いやいや江戸の海とは違うと言うから、それでもきかずに弁当を持って行った。それから同船のやつが、うちへおれを連れて行って頼んだから、翌朝より早く来いと言う、それから毎朝毎朝、船へ行ったが、みんなが言うには、亀が歩くなりはおかしいと言いおる、そのはずだ、きんたまの腫れが引かずにいて水がぽたぽた垂れて困ったが、とうとう隠し通してしまったが困ったよ。毎日朝四ツ時分には沖より帰って、船をおかへ三四町引き上げ、網を干して、少しずつ魚を貰って小田原の町へ売りに行った。それからうちへ帰って、きらず[#「きらず」に傍点]を買って来て四人の飯を焚《た》くし、近所の使をして、二文三文ずつ貰った。うちの娘は三十ばかり気のいいやつで、時々|水瓜《すいか》などを買ってくれた。女房はやかましくてよくこき使った。喜平は人足ゆえ、うちには夜ばかりいたが、これはや
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