て残らずきり立てしが、その勢いに怖れて、大勢が逃げおった。こちらは勝ちに乗ってきり立てしも、おれが弟は七ツばかりだが強かった、一番に追いかけたが、前町の仕立屋の餓鬼に弁治というやつが引返して来て、弟の手を竹槍にて突きおった、その時、おれが駈けつけて、弁治の眉間《みけん》を切ったが、弁治めが尻餅をつき、溝《どぶ》の中へ落ちおった故、つづけ打ちに面《つら》を切ってやった。前町より子供の親父らが出て来るやら大騒ぎ、それから八人がかちどきを揚げて引返し、滝川のうちへはいりたがいによろこんだ。その騒ぎを親父が長屋の窓より見ていて、おこって、おれは三十日ばかり目通り止められ押込めに逢った、弟は蔵の中へ五六日おしこめられた」
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神尾主膳は読んで行くうちに、自分の幼年時を、鏡で見せつけられるようなところがないではない。おれは、これらの子供らより驕《おご》った家庭に育ったが、やっぱり気分に於ては、これに譲らないようだ。よし、それではひとつ、おれもこの伝によって、幼年時代のいたずら物語を書いてみてやろう、という気分にまでなりましたが、読みかけたこの書物を、さし置く気にもなれません。全く面白い読物だと心を引かれたのでしょう。
五十五
神尾主膳は、なお同じ書物を読み進んで行くと、今までは夢酔老の幼年時代、これからが修業時代の思い出になる。
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「九ツの時、養家の親類に鈴木清兵衛という御細工所頭《おさいくどころがしら》を勤める仁《じん》、柔術の先生にて、一橋殿、田安殿はじめ、諾大名大勢弟子を持っている先生が、横網町というところにいる故、弟子になりに行くべしと親父が言う故、行ったが、二五八十の稽古日にて、はじめて稽古場へ出てみた。はじめは遠慮をしたが、だんだんいたずらを仕出し、内弟子に憎まれ、不断えらき目に逢った。ある日稽古場に行くと、はんの木馬場というところにて、前町の子供らの親共が大勢集まって、おれが通るを待っている、一向に知らずして、その前を通りしが、それ男谷のいたずら子が来た、ぶち殺せと罵《ののし》りおって、竹槍棒ちぎりにて取巻きしが、直ちに刀を抜き、振払い振払い馬場の土手へ駈け上り、御竹蔵《おたけぐら》の二間ばかりの沼堀へはいり、ようやく逃げ込みしが、その時羽織袴が泥だらけになりおった。それから御竹蔵番の門番は
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