て、普請の出来るまで、駿河台の太田姫稲荷の向う、若林の屋敷を当分借りていたが、その屋敷は広くって、庭も大そうにて、隣に五六百坪の原があったが、化物屋敷とみんなが話した。おれが八ツばかりの時に、親父がうちじゅうのものを呼んで、その原に人の形をこしらえて、百ものがたりをしろと言った故、夜みんなが、その隣の屋敷へ一人ずつ行った、あの化け物の形の袖へ名を書いた札を結えつけて来るのだが、みんなが怖《こわ》がった。オカしかった。いちばんしまいにおれが行く番であったが、四文銭を磨いて人の形の顔へ貼りつけるのだが、それがおれが番に当って、夜の九ツ半ぐらいだと思ったが、その晩は真暗で困ったがとうとう目を附けて来たよ、みんなに賞《ほ》められた。
おれが養家(勝家)の母どのは、若い時から意地が悪くて、両親もいじめられて、それ故に若死をしおったが、おれを毎日毎日いじめおったが、おれもいまいましいから、出放題に悪態をついたが、その時、親父が聞きつけて憤《おこ》って、年も行かぬに母親に向って、おのれのような過言を言う奴はない、始終が見届けられないとて、脇差を抜いておれに打ちつけたが、清《きよ》という妻はあやまってくれたっけ。
翌年、ようよう本所の普請が出来て、引越したが、おれがいるところは表の方だが、はじめて母どのといっしょになった、そうすると毎日やかましいことばかり言いおったから、おれも困ったよ、ふだんの食物も、おれにはまずいものばかり食わして、憎い婆あだと思っていた。おれは毎日毎日、外へばかり出て、遊んで喧嘩ばかりしていたが、ある時、亀沢町の犬が、おれの飼って置いた犬と食い合って、大喧嘩になった。その時は、おれが方は隣の安西養次という十四ばかりのが頭《かしら》で、近所の黒部金太郎、同兼吉、篠木大次郎、青木七五三之助と、高浜彦三郎に、おれが弟の鉄朔というのと八人にて、おれの門の前で、町の野郎たちと叩き合いをした。亀沢町は緑町の子供を頼んで、四五十人ばかりだが、竹槍を持って来た、こちらは六尺棒、木刀、しないにてまくり合いしが、とうとう町の奴等を追い返した。二度目には向うには大人が交って、またまた叩き合いしが、おれが方が負けて――八人ながら隣の滝川の門の内へはいり、息をついたが、町方では勝ちに乗って、門を丸太にて叩きおる故、またまた八人が一生懸命になって、今度はなまくら脇差を抜いて、門をあけ
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