に、この船をよそおうて湖へ出たのではないらしい。そうかといって、今晩に限って、湖上の月を眺めようとの風流のための一座でないこともわかっている。地所家屋のことが口に上ったのは、当座の口合いだけのもので、この船は別に何か目的あって沖に向って進むものらしい。
宿へは、月も見がてら、夜をこめて竹生島まで行きつき、泊りの参詣をして帰ると言って出たのですが、その竹生島参詣にしてからが、なにも今晩、この船路を選ばなければならない必要も、理由もないようなものですが、それを伊太夫の発意によって、急にこの船よそおいをさせたというものは、一つは湖中へ向って、陸上から避難の意味でありました。
避難といえば、今の伊太夫の身辺に、何か急に迫る危険が予想されたのかというに、急にそうあるべき事情もないことはわかっている。そもそも伊太夫、今日の旅路というものが、極めて微行《しのび》の形式で、関西の名所めぐりということになっているが、その実は、やっぱりあの胆吹山《いぶきやま》の麓に根を張っている、やんちゃ娘の女王様の動静が、さすがに親心で気にかかる、それを見届けんがための旅立ちということが、内心の主力を占めているのですから、まだ当分は、胆吹と相望むところのこちらの湖岸を離れることにはなるまいと思われる。お角親方にしたところが、このお大尽に附添うていることの限りに於ては、あえて、そう京阪地方に一日を争わなければならぬ兼合いはないものと見なければならぬ。
悠揚として迫ることの必要のない伊太夫が、今晩避難の意味を兼ねて湖中に出でたということは、どうも表面見ただけでは、その内情を察するに難い。さては、あのがんりき[#「がんりき」に傍点]の百とやらの小盗人《こぬすっと》めに覘《ねら》われて、つき纏《まと》われる煩わしさからのがれようためか。まさか、藤原の伊太夫ともあるものが、タカの知れたゴマの蠅一匹のために、陸上に身の置きどころがないという解釈も、あまりに浅ましい。実のところ、伊太夫の怖れを成したのは、この前から度々隠見する、湖上湖岸の物騒なる空気の動揺が然《しか》あらしめたもので、これが伊太夫の心持をも少なからず動揺させてしまいました。湖南湖北を通じて、すさまじい百姓一揆勃発の気運が、今やハチ切れんばかりに胎動している、いや胎動ではない、もはや、宿々領々によっては爆発の暴動をあげてしまっている。それが伊
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