とちめんや》氏の北八氏に於けるが如く、影の形に於けるが如く、相添うて来たところの、いわゆる鎌倉の右大将米友公を失っている。失ったのは亡くなったのではない。あの男を胆吹山へ取られてしまっているが、その後の死生のほどもわからない。米友公を捨て、悍馬《かんば》の女将軍女軽業興行師のパリパリに乗替えたが、こいつが意外に道草を食いはじめて、自分よりは藤原の伊太夫なにがしという財閥へ附きっきりで、てんで道庵の方などへは見向きもしない今日この頃の形勢である。道庵先生としては、それをひが[#「ひが」に傍点]んでいるわけではない。誰にしても、十八文の貧乏医者を取持つよりは、当時きっての分限《ぶげん》の御機嫌を取ることの有利なるに走るのは人情だから、いまさら道庵が、そんなことにひがみ[#「ひがみ」に傍点]を起しているほどの野暮《やぼ》ではないはずだから、特にそれを悲観しているとも思われません。
道庵先生が、生活の空虚を感じて、人生を悲観している最大なる理由としては、現在の自分が、徒手遊食の徒に堕しきっているという点にあるらしいのです。前途の旅を急ぐなら急ぐでいいけれど、こうして途中へひっかかって、京都がもう眼の先に控えているのに、進みもならず、退きもならずしているうちに、本来そうあり余るという身代《しんだい》ではないから、懐中が少しずつ寒くなる。懐ろが寒くなると同時に心細くなる。その経済上の理由も一つはあるのです。しかし、その辺は、まかり間違えば金策の大家なるお角さんが附いており、お角さんの背後には、一大財閥が控えているのだから、ずいぶん心丈夫であってしかるべきだが、そこは痩《や》せても枯れても道庵である、財閥にすがるというような卑劣心が兆《きざ》してはならない。御粗末ながら自分の旅は、自分の財布でまかなうよと、意地を張っている。その意地が怪しくなった時は、すなわち心弱くなった時で、これでは旨《うま》い酒も飲めねえが、なんどと感じて来た時に、いささか悲観するかも知れないが、そんなことは今に始まったことではない。いまさら物質的の貧乏を以て生活の空虚なりと、この先生が考えるわけがない。何となれば、貧乏が即ち道庵、道庵が即ち貧乏と、それを一枚看板に今日まで生きて来た先生ですもの。
江戸にいれば、押しも押されもしない医術本業の公民だが、現在の自分は、徒手遊食の民である、人生に貢献する何事も
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