籍と船籍を有せぬ限り、大洋の上に出づれば、それでまた一個の絶対なる王国なのであります。
これを前にしては、お銀様が山に拠《よ》って己《おの》れの王国を築かんとしている。駒井は海に於て、己れの王国を持っているのであります。小さくとも、これは絶対の一王国に相違ないのです。お銀様の胆吹に於けるものは、当人だけに於ては自尊傲岸《じそんごうがん》に孤立しているが、周囲の事情に於ては、かえって世上一般に優るとも劣らぬ係累を絶つことが容易でないのに、駒井の王国は、いつ何時でも、世間の係累から切り離して、自分たちの王権を占有することができる、という長所は、同時に、お銀様と駒井との性格をも説明するに足るものでありました。
将来はともあれ、駒井が月ノ浦碇泊前後、胸に秘めたところのものは北進政策でありました。蝦夷《えぞ》の地、すなわち北海道の一角に、しばらく船をつけて、あすこの一角に開墾の最初の鍬《くわ》を打込むということでありました。北海道は開けない、当時の人の心では日本内地だか、外国だかわからないような蒙昧《もうまい》さがある。その一角を求めて移り住むということは、ほとんど無人島に占拠すると同様の自由があることを確信して、駒井は、月ノ浦を出る時、まず蝦夷ということに腹をきめて出帆し、釜石と宮古の港に寄港して、それから函館という方針でしたが、その後の研究と思索の結果は、それが必ずしも唯一最良の案ではないということです。
なんにしても北海道は、日本の幕府の支配内のところに相違ない。そこへ鍬を卸すことは、何かの故障も予想されるし、自主独立の精神にさわるところがある。それに気候が寒い――物見遊山の目的の船出ではないから、気候風土の良否の如きを念頭に置くことは贅沢《ぜいたく》のようなものだが、さりとて同じ拓《ひら》くならば、気候風土の険悪なところよりは、中和なところがよろしい。寒いところよりは、温かいに越したことはない。
それらの思索が、ここに至っても駒井をして、まだ北せんか南せんかに迷わしめている。しからば北進策を捨てて、南進策を取るとしてみると、この船をいずれの方に向け、いずれの地点に向わしむべきか。今となって、そういうことを考えるのは薄志弱行に似て、駒井の場合、必ずしもそうではなかったのです。事をここまで運び得たにしてからが、尋常の人には及びもつかぬ堅心強行の結果というべきだが、
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