を尽してやらなきゃあなるまいが」
と伊太夫が、そこに思いやりをはじめました。小舟の中が取乱してあるか、取乱してないかはこの際、論外なことで、お角さんの見込みの通り、程遠からぬ時間の間に、そういう変事をやり出した人間がありとすれば、その分別と、無分別の如何《いかん》は問うところでない、通り合わせたものの人情として、船同士の普通道徳として、一応も二応も、捜索に取りかかることが当面の急でなければならぬ。
 そこで、船には緊急命令が下されて、さし当りこの小舟のもたらした予感通りに、掃海の作業を試むることになる。
 といっても、事は近くで発見されたにしろ、湖《うみ》は広い。霧というものがその広さを、無限大のものにぼかしている。よし広さに限度が出来たとしても、底は深い。ましてこの竹生島の周囲は、深いことに於て、竹生島そのものが金輪際《こんりんざい》から浮き出でているというのだから、始末の悪いこと夥《おびただ》しい。全く手の下しようもないのだが、手の下しようがないからといって、船舶道徳は守らなければならない。
 伊太夫の大船は、停《とどま》り且つ進みつつ、遠近深浅に届くだけの眼と、尽せるだけの力を尽しつつ掃海作業を続けて進みました。
 その間、伊太夫は動ぜぬ座を占めている。お角さんは居たり立ったり、舟夫《せんどう》に指図をしたり、伊太夫に講釈をしたりして、年増女の落着きを失わずに、その周到ぶりを発揮していたが、事が周囲七十余里の湖水を相手だから、そうヤキモキしただけではいけないと、やがて伊太夫の傍に寄添って、次のような観察を物語りはじめました。

         四

「男も男ですが、女も女です、水にでもハマろうとするくらいなら、ハマるだけのたしなみというものがなけりゃなりませんよ。女の締めくくりは帯なんです、その帯を初手《しょて》に流してしまうなんぞは、お話になりません」
 お角さんが、噛んで捨てるように言ってのけたのは、それは伊太夫の知ったことではないが、お角さん自身に、これと異った趣に於て、充分に体験を持っているわけです。この女は上総房州の海に身を投じて、橘姫命《たちばなひめのみこと》の二の舞を演じたことがある。
 その時は、無論、意気の、心中のというような浮いた沙汰《さた》ではなく、いわば凡俗の迷信と多数の横暴に反抗して、身を以て意地を守った気概のために海中に没入したの
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