親方、お前の方がずっと縁が深いと思うから、どうにかしてやんな――三日の晒しの後は、鋸挽か、打首、ここに間近え坂本の城ではねえが、今日明日のうちに首がコロリってえんだ――何とかしてやるがいいと思ったら、何とかしてやりねえな」
がんりき[#「がんりき」に傍点]のやくざ[#「やくざ」に傍点]野郎からこう言われたお角が、また面《かお》の色を変えました。
「何だって、あの友が、米友の野郎がなにかい、草津の辻で晒しにかけられてるって、そうして今日明日のうちに首がコロリだって、そりゃ本当かい」
「嘘を言ってお前をたぶらかすために、こんな臭い思いはしねえよ」
「ばかにしてやがら」
お角さんが、ここで捲舌《まきじた》を使ったのは、それはがんりき[#「がんりき」に傍点]を罵《ののし》ったのではない。あの一本調子の、気短かの、グロテスクめが、また何か役人を相手にポンポンやり出して、とっつかまったのだろう、だが、相変らず手数のかかる野郎だ。それにしても、三日間晒しの、今日明日のうちに首がコロリはひど過ぎる。友という野郎は、本来ああいうキップだが、悪いことは頼んだってする野郎ではない。それをどう間違えたか、三日間晒しの、今日明日のうちに首がコロリとは、役目を預かる奴等にも、あんまり目がなさすぎるというものだ。
そこで、お角が歯噛《はが》みをして、お手水場の床を踏み鳴らしました。
十一
がんりき[#「がんりき」に傍点]の百の野郎といえども、一から十までロクでなし野郎だという限りでもない。それから後暫くあって、臭いところから這《は》い出したこの野郎は、お角親方の特別借切りの一室を一人占めにして、すっかり納まり込み、長火鉢の前で、長煙管でパクリパクリ、そうして煙を輪に吹きながら、ひとり言――
「ふ、ふ、ふ、そうら見ろ、あの女め、火のように怒り出しやがった。だから、言わねえこっちゃねえ、あいつを、ああ嗾《けしか》けて置きぁ、火の中へも飛び込むよ。あの勢いで押しかけて行った日にゃ、やにっこい役人はタジタジだぜ。何とかするよ。何とかしねえまでも、ただじゃあ首にさせねえよ」
と言うのは、つまり、自分の寸法がすっかり図に当ったことを己惚《うぬぼ》れている。いやしくも自分の子分子方であったものが、今日明日のうちに首がコロリという運命に陥っているのを、知らざあともかく、それと聞いて、ああそうかとすまし込んでいる女では決してない。自分としては、あんなところへ面《つら》も体も出せた身じゃねえが、あの女ならばどこまでも押して行くよ。そこを見込んで、かけ込んだおれの寸法が当った。
がんりき[#「がんりき」に傍点]の野郎は、その寸法を己惚れきっている。その一方にはこうして、お角を火の玉のようにして転がし出して置きながら、そのあとを然るべき要領で、お角親方の連衆《つれしゅう》の一人にこしらえ、留守番をひとり守っている体《てい》にして、避難と、休息とを兼ねて、ゆっくりと落着くことができる、つまり、一石二鳥にも三鳥にもなるという寸法だ。これから、あの掻巻《かいまき》の中へ、すっぽりとくるまって、めまぐるしいこのごろの湖畔《うみべり》のやりくりの骨休めをすることだ。
「有難え、お茶を一ぺえ――甘えお茶菓子も有らあ」
そこで、お茶を飲み、菓子を食い、さて、ゆっくり掻巻へもぐり込んで一休みと、足腰をのばしにかかってみると、指が痛む。
「ちぇっ、右の腕はブチ落される、今度は残った左の方を小指からなしくずしなんぞは醜いこった――因縁《いんねん》ものだなあ」
と言いながら、繃帯《ほうたい》を外して捲き換えている。長浜の浜屋で落された指一本の創《きず》あとがなかなか痛い。めまぐるしさにまぎれていたが、安心してみると痛み出す――懐中から薬を取り出して、それをつけ直している。また繃帯を捲き換えてみる。
十二
果して、がんりき[#「がんりき」に傍点]の予想通り、お角さんは火の玉のようになって、この宿を転がり出たのです。
その勢いで、本陣へ上って伊太夫に面会したが、もうその時は、さきほど心配した自分の責任感のことなどは、いつしかケシ飛んでしまって、晒しの鬱憤で張りきっていました。それでも、つとめて抑制して、伊太夫へは丁寧な挨拶を試みたつもりですけれども、挨拶が済むと早くも暇乞《いとまご》いでした。
「ほんとに、大旦那様、万事ゆっくりとお話し申し上げ、お詫《わ》びも申し上げなければなりませんのですが、急に、急ぎの用事が出来ましたから、これから、ちょっと一走りかけつけて見て参ります、様子を見届けた上で、引返してすぐまたお伺い致します、ほんとに、旅へ出たからって、楽はできません」
お角さんの余憤満々たるのを、伊太夫は只事でないと見て取ったものですから、
「まあ、落着きなさい、何かお前さん、よっぽど張り切っておいでなさるが、何事が起ったのです」
「いえ、なあに、つまらないことなのですが、うちの若い者が……いいえ、以前うちに使っていた若い奴が、気が早いものですから、旅に出て、失敗《しくじり》をやらかしちまいまして――困った奴ったらありません」
「どうしたのですかな。旅に出ては間違いが起り易《やす》いから、うっかり張りきった気分のままでやると、かえって事こわしになりますよ、何事です」
「いえ、もう埒《らち》もない奴なんでございますが、どう間違えられたか、草津の辻とやらで、晒《さら》しにかかって、今日明日のうちに首がコロリ――と聞いてみると、いい気持は致しません、いい気持どころか、こうして、いても立ってもいられないのが、わたしの性分なんでして」
「まあ、待って下さい、その晒し者のことなら、わしも見ましたよ」
「まあ、大旦那様、あなたもごらんになりましたか、あの米友の奴が」
「名前は何というか知りません、また、あの男がお前さんのかかわり合いの男だということも、はじめて聞くのですが、どうも通りかかって、あれを見て、わしも変だと思いましたわい」
「全く変な奴なんでございます、あの友という野郎は、変った野郎には相違ございませんが、ちょうはん[#「ちょうはん」に傍点]をしたり、晒しにかかったりするような、気の利いたことのできる野郎じゃないのです、あいつは、天性曲ったことのできない野郎なんですが、それが間違って、晒しにかかった上に、今日明日のうちに首がコロリでは、どうあっても、このままでは済まされません、こうしている間も気が急《せ》くんでございます、あの野郎は、どう間違ったって、ちょうはん[#「ちょうはん」に傍点]なんぞをする野郎じゃありません、人違いにも程があったものでございます」
お角さんの言葉によるとちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]がちょうはん[#「ちょうはん」に傍点]になっている。ちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]の説明は前に言った通りですが、ちょうはん[#「ちょうはん」に傍点]となると僅か一字の相違で、内容も形式も全く別なものになる。すなわちちょうはん[#「ちょうはん」に傍点]というのは「ばくち」の一種で、丁よ、半よと、輸贏《ゆえい》を争うことの謂《い》いなのであります。これによると、お角さんという人の頭には、ちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]の解釈が成り立っていない、一途《いちず》にちょうはん[#「ちょうはん」に傍点]と受取ってしまっている。すなわち、丁よ半よと血眼《ちまなこ》になって勝負を争ったことのためにお手入れがあって、それがために捕われてお仕置になっている、と受取る方がお角さんの頭には通りがよい。
ちょうはん[#「ちょうはん」に傍点]、ちょぼいちの罪の罪たるべきことはお角さんの頭にもある。ただ、そのちょうはん[#「ちょうはん」に傍点]、ちょぼいちを弄《ろう》したということのために、今日明日のうちに首がコロリというのは、ところ柄かも知れないが厳し過ぎる。まして、あの正直一方の米友が、ちょうはん[#「ちょうはん」に傍点]、ちょぼいち[#「ちょぼいち」に傍点]などにひっかかる人物でないということは、お角親方が頼まれなくとも保証するところである。それがためにお角さんの激昂が一層、煽《あお》られていると見なければならぬ。
十三
お角の激昂するのを聞いていた伊太夫は、
「なるほど、そういう場合では、お前さんの気象として、じっとしていられないのも無理はない。だが、相手は何といってもお上役人だから、たとえ理があっても正面からポンポン行くと、かえって事こわしになる虞《おそ》れがある、相当の筋を辿《たど》って、何か穏かな助命方法はないものかね」
そう言われると、お角さんも馬鹿でないから、昂奮のうちにも、敵を知り己《おの》れを知るの分別が出て来ないはずはない。お上だろうが何だろうが、理に二重はないという勢いで押しかけてみたところで、相手にされなかったらどうする。それを強く押してみたところでどうなる。よし、それはどうなろうとも、当って砕けろだ、ここで後へ引くようなお角さんとはお角さんが違うと言ってしまえばそれまでだが、お角さんの米友と違う点はそこにある。伊太夫は言葉をつづけて言いました、
「そうじて、お上役人というのにぶっつかるには、更に、も一段上から出るか、側面から当るのが最も効目《ききめ》のあるものだ。役人というものは、上役に対しては頭の上らないものだから、天降《あまくだ》りである以上は否も応もない。そうでなければ搦手《からめて》から運動することだ、そこから穏かに話をつけると存外物わかりのよいことがある。名役人というものは上も下もありはしない、理が聞えれば、誰の言葉も聞いてやるが、なかなかその名役人というものはないものでな――だから、天降りとか、搦手とかいうやつが、いつの世でも相当効目があるものなのだ。どうだい、お角さん、そんな意味で何か上の方からこう、運動するような手筋はないかね。わしも一応は、心当りをこれから思案しようと思っているが、何をいうにも旅の身でねえ」
伊太夫からそう言われて、お角としても、いよいよなるほどと思わせられないわけにはゆかないで、
「御尤《ごもっと》もでございますね……」
と言ってみたが、そのほかには急になんらの思案も浮ばないから、二の句もつげない。なるほど、この大旦那が、甲州一円の土地であるならば、ずいぶん面も利き、圧《おし》もお利きなさろうけれど、この大旦那でさえ、旅の身ではねえと喞《かこ》ち言《ごと》をおっしゃる――まして、女興行師風情のわたしで、どうなるものか、それを考え出すと、腐ってしまわざるを得ない。
お角さんが、やきもきしながら返答ができないでいる、その心持を伊太夫は充分察することができるから、お角さんから強《し》いて返答を催促するのでなく、自分のこととして自問自答を試みて、
「いったい、この土地は、どこの藩に属しているのかな、水口藩《みなくちはん》か、膳所藩《ぜぜはん》か――そうだとすればここの権者《きれもの》は何の誰という人か、その人に向っての手蔓《てづる》――ただし、彦根の藩中には相当の重役に知り合いがある、そうだ、あれから渡りをつけてやろうか、彦根ならば他の小藩への通りがよかろう。だがもし、いずれの藩にも属していない天領だとなると、幕府直轄のお代官だとなると、事が少々面倒だぜ、御老中差廻しのお代官に悪く出られた日には、大藩でも扱いきれないことがある――さあ、その辺を一つ考えてみないことには……」
伊太夫は、自問自答式にこうつぶやいて、ようやく思案が深入りして行く途端に、お角さんが、急に声を上げて言いました、
「ああ、いいことがございました、ほんとに、どうしてこれに気がつかなかったんでしょう、わたしという女も、実に頭の悪い女でござんしたよ」
「何か、いい分別がつきましたか」
「大旦那様、誰彼とおっしゃるよりは、新撰組がようござんしょう、新撰組をお頼り申すのが、手っとり早くて、いちばん利《き》き目《め》がありそうでござんす」
「なに、新撰組――」
「左様でございます、とっ
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