仕損ずる。
 伊太夫は、それを藤左に向って考えさせている。

         十六

 草津の辻のグロテスクな晒し者は、多くの方面にいろいろの衝動を捲き起したが、意外千万なことには、その翌朝になると、「ちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]」の罪人として晒された宇治山田の米友の姿は、晒し場から跡を消して、そのあとへ別に一つの「梟首《きょうしゅ》」が行われました。首が晒されているのです。つまり、生きた人間を縛って曝《さら》す代りに、人間の首を切って、そうしてそれを梟《さらし》にかけました。
 さては――と人だかりの中に、血相を変えたものもありました。と、そのうちには、あの無言のグロテスクも、とうとう首になったか、ともかくも生きて晒されている間はまあいいとして、首を斬られて「梟首」に行われるようでは、もういけない。
 あれほど、いきり立ったお角さんはどうした。
 そのところに、まさに右の如く人間の「梟首」が行われていることは事実に相違ないが、よくよく見直した時、いずれも失笑しないものはありません。
「あっ! なあーんだ」
 人間の首がさらされているには相違ないけれども、その首というものが甚
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